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『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ

「それで、あなたが失うものは何なの?」—129頁

 これだけの話題作なんだから読まなきゃな~と思いつつここまで引っ張ってしまったが、ようやく読んだ。1982年生まれの娘に最も多くつけられた「キム・ジヨン」という名前を持った主人公の半生が、彼女を診た精神科医の目線で語られる形式を取っているので、滋味豊かな文章というよりはジャーナリスティックな雰囲気で物語は進む。彼女が人生で経験してきたことは彼女以外のキム・ジヨン、そして韓国の女性たちが世代を超えて経験してきたことに通じているのだろうし、だからこそ「これは自分の物語だ」と受け止めて読む人が多かったんだろうなと思う。これは小説というよりは告発に近い印象の本だった。

とはいえ小説としてもたまらなく面白いとこもあってすごく楽しめた…というとこの本においては語弊がありそうな気がするけれど。以下、ネタバレも含む感想を雑多に書くので、未読の人は注意してください。

 

 息子を生まなければ義両親に喜んでもらえないこと、自分の食事よりも父や弟の食事が優先されること、進学は男兄弟が優先されること、家事を担うのは女性だけなこと、職場でお茶を出すのは当然女性社員の役割であること、そういったことが昔から脈々と続いているからこそそれが当たり前になっていて、違和感すら抱けない、あるいは抱いたとしても声をあげることができない、だってそれが社会の当たり前の空気だから…という場面がずっと続くので、じわじわとメンタルが削られていくようだった。 

 

 そのなかで私が特に自戒を込めて読んだのは、キム・ジヨンが妊娠を機に始業時間よりも遅い時間に出勤できる権利を得るも、同僚の男性に揶揄されたことを受けて時差出勤をしない、とはいえ通勤ラッシュは身体的にきついので定時よりも一時間早く出勤するようになるシーン。

それにもしかしたら、女性の後輩の権利を奪ったのかもしれないという気もする。与えられた権利や特典を行使しようとすれば丸もうけだと言われ、それが嫌で必死に働けば同じ立場の同僚を苦しめることになるという、このジレンマ。—132頁

 なぜ自戒を込めて読んだかというと、私は自分がいつでも名誉男性になってしまうかもしれないというリスクを孕んでいる自覚があって、そうならないよう気を付けているつもりでいるからだ。

男性ばかりの営業部に所属して自分一人が女性だった頃は特にそうで、例えば私が好成績をあげれば「そりゃあ君みたいな子が社長に「お願い♡」と言えば何でも言うことを聞いてくれるでしょ」と、私が成果をあげることのできた要因は私のスキルや努力や日頃のコミュニケーションではなく、私が女であることただその一点のみ、という風にこちらが捉えてしまうようなことを平気で言う人がざらにいた。だからそんな風に言わせないためにはその人たちよりも倍の成果をあげてぐうの音も出なくさせるしかないとずっと思っていて、実際にそうなるよう頑張った。そうしているうちに、過去にメンタルを病んだり体力がついていけなくなったりした人たちがいる中で、「男よりもメンタルが強く数字も結構取ってくる男勝りな女」と言われるようになった。

こうしたことは全部強制的にやらされたことだと思っているわけではなくて、とにかく人並みの成果では正当に評価されないと思って自らやったことだった。そうすることが職場でナメられず、かつ認められる簡単な方法だったからそうしたのだけど、果たしてあんなにムキになって頑張る必要があったのか、よく分からない。頑張った結果は最終的には自分に良い形で返ってくるかもしれないのでそれ自体は無駄ではなかったと思うけど、あんなに思いつめて仕事をする必要はなかった気がする。

そういう自分だからこそ、私もキム・ジヨンと同じ立場ならきっと彼女と同じことをしただろうと思う。一時間早く出勤するか、あるいは遅く出勤したとしたら揶揄してきた男性よりも高い成果をあげて文句を言わせないようにしようと必死になる自分が目に見える。そういう自分の姿が、他の同僚の正当な権利行使を妨げる空気を作ってしまう可能性は十分にある。それは分かっている…うえで好戦的な人間なので揶揄する人間がいる限りその人との勝負から降りられないかもしれない(勝手に勝負と捉えることがそもそもどうかしているけど)。だから今の自分にできることは、自分のように振る舞わない女性を絶対に否定しないこと、名誉男性的な感覚に陥らないことだとずっと思い続けているけど、それだけではダメなのではないか…と本を読んで思った。

 

 韓国では一部の男性読者が「男だって辛い」と本書を批判し、『79年生まれ、チョン・デヒョン』というキム・ジヨンの夫を主人公にしたパロディー小説が匿名の投稿サイトに書き込まれたという。個人的には辛い自慢選手権をしたところで何も解決しないと思っているのだけど、ただ男だって辛い場面がある、というのも本当だと思う。本書の中でも、デヒョンが仕事から帰ってくるのは毎日夜中になってからで、毎週土日もどちらか一日は休日出勤している。子どもの受験競争、ひいては就職競争が厳しい韓国では子供にかける教育費の高さも問題になっていると聞いたことがあるが、それを考慮するとそのくらい働かなればやっていけないのだろうと思う。そのうえで、夜中に帰ってきてから例えば子どもの夜泣きに対応しなければならなかったりするのかと思うと、正直キツイと感じてしまう。もちろん夫が会社で仕事をしている間、妻も家でずっと育児という名の仕事をしていることは分かっているので、夜泣きを妻一人に任せきりにするのもどうかと思うが、ただ夫にも余裕はないだろうと思う。

また男性は大学在学中の20歳前後くらいで兵役に行くことが多く、体力もあって遊びたい盛りの時代の約1年半ほどの貴重な時間を兵役に費やす。だから女性を虐げても良いとか、そういう話ではない。だけどそうしたことにとてつもなく疲れてしまうことはあるだろうなと思うし、もし男女平等意識が進んで例えばスウェーデンノルウェーみたいに男女両方を徴兵制の対象にすると決まったとして、果たして自分が大手を振って賛成するかどうかは、正直分からないなと思う。

それに親が娘に男児を生むことを望むことにしても、急速に少子高齢化が進む韓国で高齢者の貧困が問題になっていることが原因の一つになり得るのではないかとも思った。将来老後に貧困で苦しむ可能性があるなら、より扶養能力が高い、つまり女性よりも年収の高い男性である息子がほしいと思うかもしれない。だけどそもそも同じ仕事をしているのに女性よりも男性の方が年収が高いこと自体問題であって…となると、『82年生まれ、キム・ジヨン』はジェンダーの問題も当然に含みつつ、それだけに収まらない社会構造の問題なんじゃないかとすら思う。なんかもう解決方法は国家規模の話になるというか…どうしたら良いんでしょうね…と読み終わって途方に暮れてしまった。

ただその点では

法律や制度が価値観を変えるのか、価値観が法律や制度を牽引するのかと。—125頁

という文章もあったけど、是正すべき不平等については法律や制度先行でアファーマティブアクション的に凹凸を均すしか突破口はなく、それに伴って人々の価値観が変化して自走できるようになれば徐々に緩和させていくのが理想なのではないかと個人的には思う。現に変わってきた価値観もあるだろうし。ただ本当の意味で「自走する」ということは難しいのだろうなとも思う。価値観が変わってきた頃に今度は「私たちの時代はもっと辛かった。今の若い人は恵まれているのに甘ったれたことを言っている」と世代間で分断が起きないようにしないといけないというのもあるし…。

 

という感じでもはや社会構造の問題だな…と思い続けながら読んで取り留めもないことを考えた。そういうことを男女問わず促す作品としてとても良いと思った。

 

(※ちょっとネタバレ)

 最後に小説としての話なのだけど、本作はどんでん返しの物語と言える。それも絶望へと突き落とされるタイプの、最悪のどんでん返しである。キム・ジヨンの話をよく聞き、心情を推察し、寄り添っていたはずの精神科医が、韓国で子どもを持つ女性の生きづらさはこの仕事をしている自分だからこそ知っているし理解できると宣っていた精神科医が、最後の最後にこんなことを言ってしまうんだ…というラスト。しかもその精神科医に何の悪気もなさそうで限りなくナチュラルな思考のようだからこそ余計に絶望してしまう。そういう救いのないラストが待っているのが面白かった。

 

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まさに韓国の今が分かるので面白かったし、全くもって対岸の火事ではない、これは将来の日本の話かな?と思えるような話もたくさん出てくるので怖かった。これを読んでいると、『82年生まれ、キム・ジヨン』に出てくる世代、性別を問わないあらゆる登場人物のバックボーンにあるかもしれないものを少しは推察できる気がする。

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