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こんな本を読んでました フィクション編

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 これの、フィクション編。

『信仰』村田沙耶香

「お姉ちゃんの『現実』って、ほとんどカルトだよね」—33頁

 面白かった!!!!!!!最初数ページ読んだ時点で面白すぎて一回本を閉じた。

 突然元同級生にカルト商法を始めて一緒に儲けようと誘われた主人公が、そんなことは現実的でないと止めようとしながら、次第に深みへはまっていく表題作「信仰」がすごい。この浄水器から出た水を飲めば幸せになれると信じること、このブランドの食器セットは数百万円を出してでも買う価値があると信じること、人に現実を見ろと正すことこそが正しいと信じること。これらの信仰の間には何の差があるのか、どれが絶対に間違っていてどれであれば正しいのか、もはや誰にも分からないし正解はないのではないか。それぞれが信じたいものを信じるだけであって、その対象の本当の確からしさは重要ではないというか、信仰の本質ではないのかもしれないと思う。

 自分の性格の別々のパーツをそれぞれ色濃く持った自分のクローン4体と暮らす「書かなかった小説」も強烈。

 あとエッセイ「気持ちよさという罪」も良かった。メディアで「クレイジーさやか」と安易に紹介されることの違和感は私もずっと感じていて、お互いをよく分かっている作家友達が愛情をこめてそう呼ぶ分には良いけど、そうではないメディアが安易に使うあだ名ではない。村田さんの小説って世間一般でクレイジーだと思われていることは本当にクレイジーなのか、先入観や思い込みでそう決めつけているだけで一般に普通と思われていることが実は普通ではないのではないか、と迫るような話が多くて、まさに安易に「クレイジー」と冠することから遠い作品を書いている作家に対して「クレイジー」って、それはないな…と思う。

 

『CF』吉村萬壱

 これもめちゃくちゃ面白かった…。罪を犯しても責任を取る必要がない「無化」を行ってくれる超巨大企業Central Factoryが、加害者だけでなく被害者の苦しみをも取り除いてくれる夢のような技術をもって、世の平穏を維持しているが…という話。

 『信仰』にも通ずるけど、罪を犯しても責任を取る必要がない「無化」を行う技術が科学的にどうであるとか、そんなことは実は重要ではない。世の中のほとんど全員が、そういう技術を持った企業が存在し、技術を駆使することにより、加害者も被害者も気持ちが晴れているんだ、そういうことなんだ、と"信じる"ことが何より大事。多数が信じることでオーソライズが取れて、"本当"になるんだと思う。

 「信じる」とは何か、「赦す」とは何かについて描かれているのだけど、皮肉がききすぎていて、今思い出してもまだ新鮮に面白い。もう一回読みたい。

 

『家庭用安心坑夫』小砂川チト

 さっきから「面白い」しか言ってないけど、これも本当に面白かった。正直好みかどうかはかなり分かれると思うけど、私は断然好き。

 日本橋三越の柱に、専業主婦の小波が昔実家の柱に貼ったシールがそっくりそのまま貼られていることに気が付くところから物語が始まり、それ以来、幼い頃から母親にこれが自分の父親だと教えられていたマインランド尾去沢にいるはずの坑夫のツトムが、東京での生活のあちこちに現れ始め…というストーリー。何のことか分からないと思うけど、読んでいるこちらも何のことか分からないくらい、主人公の小波が信頼できない語り手になって話が進んでいくので、ずっと現実と錯覚、幻想の境目を往ったり来たりしているような心持になる。その中で、主人公の実家時代の圧倒的な愛情不足や母親の不安定さ、受けてきた抑圧とが時折滲み出てくるので、とにかく辛くて、最後は泣いてしまった。

 特に小波と夫との関係・状態に関する描写に時制の歪みみたいなものを私は感じていて、いったいいつから…?ここはネタバレになるので書かないけど、解釈が分かれると思う。夫は小波を実家から連れ出してくれたヒーローだったのかもしれなければ、そうでもなかったのかもしれないし、そもそも本当は存在していなかったと言われても、私は驚かないかもしれない。

 芥川賞候補にノミネートされていたけど、いつか獲ってほしい、書き続けてほしい作家さんだなと思う。あと、本作が好きな人はセサル・アイラの『わたしの物語』も好きなのではないか。

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『N/A』年森瑛

やっと今年が終わる。クリスマスプレゼントには浦島太郎の玉手箱が欲しい。—34頁

 高校2年生のまどかはそのルックスから学校では女子たちから「松井様」と呼ばれて王子様扱いされる一方で、生理がくるのが嫌で、生理を止めるために低体重をキープしている。自分は普遍的なことをしていても世界がきらめいて見えるような、他の人では代替不可能な、ぐりとぐらやがまくんとかえるくんみたいな、「かけがえのない他人同士」になれる相手を見つけたいのに、お試しで付き合っている彼女のうみちゃんは、誰にも認めてもらえない同性同士の恋人関係、という苦悩と歓びに酔っているようで、少し嫌気がさしている…というお話。

 自分の意思に関わらず否応なしに女性性を感じずにはいられない生理を嫌悪する気持ちや、王子様としての役割、女性としての役割を押し付けられること、安易にカテゴライズされることへの抵抗感、恋愛至上主義的な価値観への違和感などが、現代の女子高生の言語感覚で描かれている。だから面白いのだけど、正直に言うとよくあるテーマかなと思いながら読んでいたら、終盤がめちゃくちゃ良かった。安易にカテゴライズされることが嫌だったまどかが、実は自分も勝手に相手をカテゴライズして、決めつけてしまっていたことを突き付けられるシーンが、とても良い。

 

『オーラの発表会』綿矢りさ

「むかつく。私だってあんたのこと、実は変なあだ名で呼んでたし。クソデカ女、クソ…クソのっぽ!って呼んでた」

 なんとなく呼び慣れていない雰囲気が伝わってくる。まね師が私のことをクソのっぽと呼んでいたというのは、私に対抗して言っただけの嘘ではないだろうか。だとすれば、少し、罪悪感を抱く。私は紛れもなく彼女を何年も"まね師"と頭のなかで呼び続けてきたからだ。—93頁

 綿矢りさのこういう文章で元気が湧いてくる体質。

一人で過ごしていても満ち足りることができる主人公の海松子(みるこ)と、少しでも良いなと思った人のファッションを徹底して完コピする特殊な特技を持っていることで周囲から敬遠されている萌音(海松子がつけたあだ名:まね師)の、ある意味シスターフッド小説として読んだ。

 

『嫌いなら呼ぶなよ』綿矢りさ

自暴自棄でヤケになってるというか、とことん全部さらけ出せば誰か一人ぐらいは私を理解してかわいそがってくれるのではないかっていう甘えた期待する気持ちが、絶望の底にある。一発逆転を狙ってるんだね。でもいつも期待は大外れでみんなドン引きでさらに遠くへ行くばかりだ。—46頁

 『オーラの発表会』に主人公の大学の同級生として出てきたりなっちが主人公の「眼帯のミニーマウス」がとても良かった。可愛いものが大好きで可愛い顔になりたくて整形をした主人公と、人が整形したと知って急に活気づく整形ポリスの同僚たちの、ヒリヒリする会話がユーモラスに書かれていて、綿矢さん作品の底意地の悪さに元気が出てしまう。誰かに自分を見てほしいという気持ちと、自分のことをもう誰にも見られたくない、という気持ちは、矛盾するようだけどきっちり共存するものなんだなと思う。

 

 主人公が妻の親友のホームパーティーに一緒に招かれて行くと、そこで突然自分の不倫裁判が始まって妻の友達夫婦たちに責められまくる表題作「嫌いなら呼ぶなよ」も面白かった。

僕のラブストーリーは一編一編のドラマじゃなくて、テレビ局の持つドラマ枠みたいなものなんです。つまり、一つのラブストーリーが終わりを迎えたら、また来期の新ドラマが息つく暇もなく始まるんです。そんな人生、幸せだと思いますか?全然そんなことない、僕自身もう疲れてるんです、でもやめられない。

アイデンティティーだから。

生業。業の深い、明日を生きるためのエネルギー。だから僕はこれを一生失くせない。—150頁

 何言っているか分からないんだけど、こういう人は本当にいる。かつてあまりに浮気癖の酷い人が「自分でもなんでこんなことになっているか分からない…。もう疲れた…。」と言って私の前で泣いていた。泣きたいのはこっちですが…(笑)と思いながらミカンをむいてあげたのを思い出した、あれマジで何だったんだろ。ということを思いながら読んだ。

 

『あなたにオススメの』本谷有希子

 体内にICチップを埋め込み、常時ネットと接続されていることでコンテンツを摂取し続ける生活を送る中、コンテンツたちに満足できなくなってきた推子の前に現れた、そんなデジタル社会を嫌悪してICチップをまだ入れていない風変わりなママ友とその子どもを、新たなコンテンツとして「推し」始める主婦の話「推子のデフォルト」。台風などの災害を前に嬉々として食料を買い占めて万全に防災準備を整えることに喜びを見出す夫婦の話「マイイベント」。どちらも最悪に次ぐ最悪で本谷さんは本当に容赦がないなと思う。人の悩みも子育ても災害も全部コンテンツにしてしまう人たちが、加速度的に破滅へと向かっていく様はグロテスクなのだけど、怖いもの見たさで読む手が止まらなかった。

 

『2084年のSF』

 2084年という、ジョージ・オーウェル1984年』のちょうど100年後の世界を各作家が描いたアンソロジー

 空木春宵「R__R__」は自助・自己責任論が極まって疲弊した国民を救う解決策として、何でも受動態で表現することになっている世界で、主人公が能動的態度を取り戻す過程で能動と受動が拮抗するのを「二重思考」で表しているのが、「1984年」を意識していて面白かった。中国が地球を統一した世界を描く歴史改変SFの「上弦の中獄」(吉田親司)のオチも良いし、老人ホームに入居している92歳のおじいさんが子どもに会いたくて何度も施設からの脱走を試みるも、警備ドローンや介護ドローンによる完璧な管理によって全然出られない、老人VSテクノロジーを描いたドタバタコメディ「見守りカメラis watching you」(竹田人造)も面白かった。

 

『選んだ孤独はよい孤独』山内マリコ

 強いホモソーシャルが形成されている地元仲間に馴染めない男、付き合った彼女に当然セックスがしたいんでしょ?という態度をとられて腑に落ちない男子高校生、仕事ができないことをひた隠しにしているサラリーマンなど、いろいろな男が主人公の短編集。男らしさのステレオタイプを時には利用し、時には苦しむ、人間くさい男たちの物語で、これは松田青子の『女がいた』と合わせて読むと良い本だと思う。

 

『異邦人』カミュ

(前略)あなたの行為を呼び起こした動機をはっきりしてもらえれば幸いだ、といった。私は、早口にすこし言葉をもつれさせながら、そして、自分の滑稽さを承知しつつ、それは太陽のせいだ、といった。—131頁

 古典的名著を読もうというターンが来たので読んだけど、名著って絶対に面白いからすごい。はじめ、主人公のムルソーは主体性のない人なのかと思ったけど、そうでもなくて、食欲もあるし性欲もあるし死にたくない欲もあるのだけど、そういう主体性に関して前後の文脈があまりなくて、今まさにそう感じているからそうしているだけ、という、かえってシンプルすぎる人なのかなと思った。母親が死んだ時にたいして悲しそうでもなく泣きもしなかったムルソーだからこそ、人をも平気で殺すのである、というロジックを周囲の人は組み立てたがるけど、たぶんムルソーにとってはそこにあまり因果関係はない。だからこそ普通の人には理解しがたい不条理が発生しているのだけど、こういうことは今の世の中でも起こっているなと思う。

 

『愛』ウラジーミル・ソローキン

 意味が分からなすぎて最高だった。風光明媚な自然描写、ロマンチックな情景…からの突然の暴力、血、肉片、尿、精液、からの死、で終了!!!!!!!!!!!!という感じ。狂気が過ぎる。心が荒み切った仕事終わりに一編ずつ読み進めるのに最高の短編集だった。

「それにしても故郷って何なんだ?」コンスタンチンは太陽の光を浴びて目覚めていく森や、青い空や川を眺めながら、ふと思った。「この短い言葉におれたちは何を込めようとしているんだ?国土か?国民か?国家か?でも、ひょっとして、胡桃の木の釣竿と釣りあげたフナを何匹も手に入れた缶を手に、裸足で走りまわった子ども時代のことではないか?それともあの白樺だろうか?それとも亜麻色のお下げ髪をしたあの娘だろうか?」—18頁

ロシアの歴史、政治情勢を思わせる描写だな…と思ったその直後にバッキバキの朝勃ち描写がきて脳が混乱する。

 

菜食主義者』ハン・ガン

 そのとき、彼女は知っていた。医師に話した再発に対する憂慮は単なる表面的な理由で、ヨンへを近くに置くこと自体が不可能に思われたことを。あの子が思い浮かばせるすべてに耐えられなかったことを。実は、あの子をひそかに恨んでいたことを。この泥沼のような人生を彼女に残して、一人だけ境界の向こうに行ってしまった妹の精神を、その無責任が赦せなかったことを。—227頁

 ある日を境に急にベジタリアンになった妻の変化に戸惑う夫目線の話「菜食主義者」から始まり、その妻・ヨンへの周りにいる人たちを主人公にした話が収録されている連作中編集。後半からの畳みかけがすごかった。

 娘として、妻として、女としての役割を全うする自分、夫のために家事をして、いつでもセックスの要求を受け入れる自分、父から抑圧される自分は、「個」というよりただの「肉」である、という潜在的な意識がふとしたきっかけで急に表面化した時に、「肉」への強烈な忌避に繋がって、「植物」を希求する話なのかなと思った。『82年生まれ、キム・ジヨン』もそうだったけど、そういう抑圧が今に始まったことではなくて、分かりやすさ/分かりにくさはあれど、世代を越えてずっと続いていて、簡単には絶たれない、という絶望感がある。

 またヨンへの姉(「木の花火」の主人公)が持つ「狂えないことの苦しみ」が、ヨンへとは違う形で姉を追いつめていて、高瀬隼子『水たまりで息をする』を思い出した。自分もギリギリのところにいて、もはやもうギリギリアウトなんだけど、それでもなんとか踏ん張っている中で、相手に急にその境界線を飛び越えられてしまったことの悲しみ、憎しみと、それを相手にはぶつけられないその人の優しさと、仮にぶつけたとしても境界線の向こう側にいってしまった相手にはもうその声は聞こえないだろうという諦め。

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『あらゆる名前』ジョゼ・サラマーゴ

 人々の生死を記録し管理し続ける戸籍管理局に勤める中年男性のジョゼが、偶然とある女性の記録を手にしたことがきっかけで、その女性の生の軌跡を追いかけていく話。生死をただの情報として取り扱う官僚的仕事と、そうして管理されている一人の人間のリアルな人生とのギャップが、サラマーゴ特有の文章で淡々と書かれている。見たこともない人間をここまで追いかけようとするジョゼの妄執的な執着も凄まじい。