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本やアイドルが主成分

自分自身の"適量"を知ること 『BUTTER』柚木麻子

 私は亡き父親から女は誰に対しても寛容であれ、と学んできました。それでも、どうしても、許せないものが二つだけある。フェミニストとマーガリンです—37頁

BUTTER (新潮文庫 ゆ 14-3)

BUTTER (新潮文庫 ゆ 14-3)

  • 作者:柚木 麻子
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: 文庫
 

  男たちに貢がせ、殺害した容疑で逮捕され勾留されている梶井真奈子(通称カジマナ)に週刊誌の記者である里佳が面会のアポイントを取り付けるところから物語は始まる。本作は実際に起きた首都圏連続不審死事件を下敷きにしている。彼女が世間から注目を浴びたのは事件の悪質性も要因の一つだろうが、何より彼女のルックスも大きい。「多くの男性に結婚詐欺をはたらいて金銭をせしめた女性」から想像する女性のルックスと、報道される彼女の肖像にギャップがあるからだ。あけすけに書くと、「なぜ器量が良いとは言えない彼女が、こんなにたくさんの男性からモテるのか?」という下世話な好奇心を掻き立て、同時に嫉妬もさせたのだと思う。

 だからか、この本は友情がメインテーマかもしれないが、私は女性の生きづらさと、そこに絡むルックスという要素のインパクトの大きさを強く感じた。

  世間で生きていくうえでルックスが持つ影響力の強さを、もう嫌というほどに知ってしまっている。「人間は外見ではない、中身だ」とはよく言うし、それもそうだと分かってはいるが、どうしてもルックスの呪縛から抜け出せない。これまで一度も自分の容姿を好きだと思えたことがない。私の家では母が美人でとても痩せていた。「お前の鼻先は丸くて可哀想に。お母さんはツンと尖って綺麗なのになぁ」などと何度も父に言われた。私はずっと母よりブスで、母よりデブだった。それに母は体型に関してとても厳しかった。自分が人生で一度も太ったことがないからか、太ることの意味がそもそもまるで分からないようだった。身長が170㎝弱ある当時高校生の私に向かって母が言った「さすがに体重50㎏はないよね?」という悪意のない純度100%の言葉は、今でもずっと耳に残っている。それ以来、私は一生太らないと決めた。何がなんでも太りたくない、それは男性にモテたいから、とかではもはやなく、強迫観念となって私の中にずっとある。一人の食事は楽しいものではない、生きていくために食べなくてはいけないが、太らないよう量を調節して食べるものである、と言い聞かせた私の食生活は貧しい。

 その一方で本作の梶井の食生活はとても煌びやかだ。好きな時に、好きなものを食べる。梶井が語る、乳脂肪分をたっぷり含んだバターの味。言葉だけで伝わるそのコクの強さに、普段バターを食べない私は胸焼けしてしまう。

なんだかねえ、あなたと向き合っていると、心が砂漠みたいになるのよ。投げ出すみたいに生きている人を見ると、こっちが責められている気がして疲れちゃうのよね。—197頁

 梶井から里佳への言葉が胸に刺さる。梶井は自分の欲求の通りに食事をし、脂肪をため込んだ自分の体が大好きなのだ。いつも自分の心の思うままに行動する彼女から発せられる自己肯定感の高さ、万能感が、羨ましいと思ってしまった。

 

 無職の梶井にそんな贅沢な食事ができるのはパトロンとなる男性がいるからだが、男性を手中に収めるための梶井の男性への献身は、私には決して真似できない。寂れた生活を送る男性に、料理、掃除と家事をかって出て生活を立て直してあげること、男性の寂しい孤独を癒してあげること(時には肉体関係を結ぶ)に喜びを見出す梶井。

 私の体型が世間で揶揄されていることは知っています。そうした発言をする人間こそ、男が女に惚れるメカニズムをわかっていません。きっと貧しい性生活しか送っていないのでしょうね。同情します。

 男を決して凌駕しないこと。

 たったこれだけのことでいいのです。どうして世の婚活女性たちはいつまで経っても理解しないのでしょうか?そんなの人間じゃないみたい?私は声を大にしていいたいのです。すべての女は女神になればいいのだ、と。—449頁 

  主人公の里佳と同じく、職場の紅一点として男性と肩を並べて働く身として、梶井のこの発言は"本当は自分でもよく分かっている"ことだ。業績で男性と張り合い、男性以上にサバサバと振る舞うことで準男性として男性社会の中でポジションを確保することが会社での処世術になってしまっているが、いくら仕事を頑張ってお金を稼いだって、それではモテないことは分かっている。男が求めていることはそんなことではない。梶井のような"決して自分のポジションを脅かすことはないが傍にいてくれる、昼は淑女、夜は娼婦になれる女"が求められているのだ。いわゆる、セックスができるお母さんだ。そうして梶井に手厚い施しを受けていた男性たちが、第三者に彼女のことを語る時はその容姿などを悪しざまに語っていた部分に私は腹が立って仕方なかったが、それではダメなのだ。女神にならなければ。

 

 そうして男性を手中に収め、「女は嫌い。友達はいらない、必要なのは崇拝者だけだ」と宣う梶井だが、高級な料理教室に男の金で通い始めた辺りから、どんどん胸が苦しくなった。梶井は本当は友達が、それも女友達が欲しかったのだと思う。女性と談笑しながら、男性の為ではなく、初めて「自分のために」作る料理の楽しさ。男性が好きな味ではなく、自分の好きな味、自分にとっての「適量」を知ること。何もかもが梶井にとって新鮮で、今まで蓋をしていたが、それは本当はずっと求めていたことなのではないか。それも、子供のころからずっと。

 少女時代の梶井もまた、友達がいなかったようだ。梶井が罪を犯したきっかけは元の元を辿れば少女時代にあった性犯罪者との出会いだと思うが、誰からも求められず誰も自分を認めてくれない世界で、ただ一人自分を拠り所にする男が現れたことで、梶井は生きる活路を見出したのではないかと思う。本当は自分の個性を認めてくれて、良いことも悪いことも話し合える相手が欲しかった。だけどできなかった。それは何でだったのだろうと想像した時に、やはり彼女のルックスも一つの要因としてあったのではないか(そしてそれは彼女の責めに帰すことではない)。

俺、ただ単に、彼女が批判されているから、応援しなくなったんだよ。たくさんの人が嗤うような女の子を好きでいるのが怖くて、自分まで嗤われるような気がして、推しを辞めたんだってわかったよ—534頁

  これは里佳の恋人・誠が語った、自分の推しの女性アイドルが太ったことが原因で推しを辞めた、本質的な理由である。これが、少女だった梶井が地元で男から遠巻きにされていた、そして友達もできなかった理由を示唆しているのではないかと思った。梶井の同級生の「真奈子ちゃんを好きだったというやつを、男でも女でも俺は一人も同級生に知らないんです。」「彼女の相手はみんな、ネットで知り合った年寄りか女慣れしていない男ばかりでしょ?」という悪気のない発言を聞くと、そう思う。だから今の、完全に主観の世界で生きる梶井が出来上がった。客観の世界はあまりに辛いからだ。自分の主観だけに没入することが、自分の精神衛生を守る術だったのではないかと想像する。その主観が膨れに膨れ上がって、今のモンスターを生んでしまったのではないか。

 

 自分が主人公の里佳にシンパシーを感じることが多かったからか、何度も梶井の言葉に惹きつけられて、心が乱されてしまった。ただただ私は、梶井に友達がいれば、とそのことを思って苦しくなる。梶井の冷蔵庫の中で腐りゆく七面鳥に、泣きたくなった。

 

 …が、これも梶井の術中なのか。梶井の本当の姿を見極めることは難しい。長年をかけて築き上げてきた梶井の主観世界に、客観世界からそう易々と入り込めるものではなかった。と同時に、いつになったら自分の容姿を認められる日が、太らないための「適量」ではなくて、自分にとっての「適量」を許せる日が来るのだろう、と考えてしまった。

 

連想した本

popeyed.hatenablog.com

さかきちゃんは美人。でも亜美ちゃんはもっと美人。

 

女ぎらい (朝日文庫)

女ぎらい (朝日文庫)

 

男を侮り、男の欲望をその程度の陋劣なものと見なし、そのことによってかえって男の卑小さや愚かさに寛大になるという「ワケ知りオバサン」の戦略

そしてこんなワケ知りオバサンほど、男にとってつごうのよい存在はいない。—346頁

 

脂肪と言う名の服を着て-完全版 (文春文庫)

脂肪と言う名の服を着て-完全版 (文春文庫)

 

  痩せることへの執念と、痩せればよいというものでもないことに絶望を感じてしまう精神抉られ系漫画。