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本やアイドルが主成分

最近読んだ本

 内容を忘れないように読み終わったらメモを取ろうと思っていたら早20冊以上溜まり、今となってはもう何も覚えていない。本当に継続できない。何も習慣化させることができない。以下、おぼろげな記憶で書いたちょっとした感想。

麻原彰晃の誕生』髙山文彦

 引き続き宗教関係の本を読んでいた頃。全盲の子どもたちの中で、目に障害を抱えているとはいえ視力はあった彼が、見えていることの優位性をもとに横暴な振る舞いを見せてトップに君臨しようとしていた盲学校時代に、すでに片鱗を示していたとも言えなくはないように見える。ただし盲学校に進んだのは貧しくて兄弟の多い家庭からの口減らしという側面もあって(彼の就学奨励金を自分たちの生活費の一部に充てようとしたと言われている)、なんというか、結局お金なのか…?と暗い気持ちになった。加えて、休みの日になっても彼の両親だけは寄宿舎に迎えに来ず、彼一人取り残されていたという教師の証言もあり、彼が盲学校時代に教師に言い放ったとされる

「自分で金を稼いで、なにが悪かっですか。おれんこつを、だれが面倒みてくれますか。こん世の中を生きていくには、金がいちばん大事なんですよ」—46頁

という言葉が印象に残る。お金があれば麻原彰晃は生まれなかったんだろうか、とふと思いつつ、それで結論付けてしまうと「金がいちばん大事」が本当になってしまうし、そんな安易な話ではないだろうけど。

 

『宗教を「信じる」とはどういうことか』石川明人

 そもそも宗教を信じるとはどういうことなのか、この世には悪があるのになぜ神を信じることができるのか、神を信じれば善良な人間になれるのか、などなど。章立てが魅力的かつ丁寧な論理展開で好印象だった本。善良なはずの神のもとでどうして不条理なことが起きるのか、神に祈っているのになぜ耐え難い悲劇が起きるのか、というような議論を神義論というらしく、そのくだりが一番興味深かった。

 

『オウムと死刑』

 2018年7月、2回に分けて13名に死刑が執行されたことについて、いろいろな立場の人が寄せた評論集。結局のところの真相がほとんど解明されていない気がするし、再審請求中の死刑執行はブラックボックス感も強くて、やりきれない気持ちになったけど、一方で死刑に反対だった被害者家族の方のインタビューはあったものの、他の被害者の方々のこの時の気持ちは推しはかることができない。想像できないし簡単に想像されたくもないかもしれない。

 

『死刑と日本人』菊田幸一

 日本の死刑制度の歴史を概観する本。憲法で公務員による拷問及び残虐な刑罰は禁止されている中で、死刑制度は国民感情に支えられている部分があって、それは被害者側の心情に立つと自然なことかとも思うけど、自分はやっぱり基準や手続きの曖昧さが気になるなと思う。制度の是非はいったん置いといて、人の生き死にが関わるところにブラックボックスな部分があることは良いと思えない。

 

『7・8元首相銃撃事件 何が終わり、何が始まったのか?』

 2022年のうちに読んでおこうと思って読んだ。宗教団体の教義と政党の保守的な思想との相性が悪いように見えるのになぜ結びつきがあるんだろう?ということがよく分かっていなかったのだけど、一通り概要は知ることができた。あの日は事件が起きた11時半頃から職場を去るまでの12時間、仕事の性質上仕方ないとはいえずっと職場で銃撃シーンが流れ続けていて、さすがに落ち込んだ。

 

『8㎝ヒールのニュースショー』鈴木涼美

強引な「共感」を理由に鼻をつまむ態度は、別世界の価値観を見せつけられることへの拒絶でしかない。—150頁

 鈴木さんの時事評論集。そういえばそんなこともあったなぁと読んで初めて思い出すことも多く、いかに自分がその時々でふわっと憤り、さらっと忘れているかがよく分かる。

 

『断片的なものの社会学』岸政彦

 本人の意思を尊重する、というかたちでの搾取がある。そしてまた、本人を心配する、というかたちでの、おしつけがましい介入がある。—207頁

 社会学、フィールドワークというものが孕む暴力性や傲慢さと、他方で本当は存在する人や物や事を見ないふりして存在しないことにするよりも、そこに焦点を当ててきちんと見て、聞くことの重要性とのバランスを取るのは、すごく難しい。

 

『笑いの哲学』木村覚

 私には絶対に笑ってはいけない場面で高い確率で笑ってしまう悪癖があって、困っている。笑ってはいけないと思えば思うほど面白くなってきて、そうして笑ってはいけないと戒めて耐えようとしているのに肩が震えまくっている自分のことも面白くなってきて、どうしようもなくなる。これはどういうお笑い??…というのも、この本を読めば分かる。笑いの分類をベースに、ポリコレ、差別意識、教養、社交、自己開示とかに話題が広がって「生き方」に辿り着く最後。これは本当に面白かった。

 

『公衆衛生の倫理学』玉手慎太郎

 公衆衛生を守るために人々の自律が犠牲にされることを肯定するためには、それに釣り合うだけの倫理的な正当化が必要だということが前提にある。コロナ感染拡大防止や健康増進、肥満防止、どれもそのこと自体に反対ではないけど、倫理に気を配らない限りパターナリズムに陥ったり過度な自己責任論が蔓延したりする。自由と規制とのバランスをどう考えるか、安易にこれが正解だと断定せず丁寧に書いていて、これが初の単著らしいのだけど、次回作以降も読みたい。

 

『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』ウェンディ・ムーア

 めっちゃ面白かった。外科の祖とも言われるジョン・ハンターの評伝。不謹慎を承知で書くけど、外科を発展させるためにとにかく解剖する必要がある!と言って、病人が亡くなったり死刑が執行されたりすると爆速で駆けつけて死体を盗みにいったり、墓場を掘り起こしたりする行動力、すごすぎて呆気にとられて笑ってしまう。貧しい人には無料で治療し、お金持ちからは高額を請求。患者の生存を一番に考えたハンターの、ダークヒーロー的な生涯。

 

『煩悩の文法』定延利之

 「自分の体験を語りたい!」という人々の煩悩が、教科書的な知識の文法を軽々と越えて日々使われていることを、ユーモラスに説明した本。体感度の高低がその文法が自然か不自然かを左右しているなんて、あまりに感覚的すぎると思いつつ、実際にそうなんだから面白い。

 

『他人の顔』安部公房

 自分、安部公房好きそうだな~~~とずっと思いながらなぜか今まで読んでいなかったけど、ようやく読んだ。そしたら、好きだった。化学研究所で顔に酷い火傷痕を負ったことで「顔」を失った主人公が、自分でプラスチック製の仮面を作って、「顔」を、ひいては「自分」を取り戻そうとする話。内省的な語りが時に切実で、時に気持ち悪くて、こういうの好きなんだと思う(ドストエフスキーの『地下鉄の手記』とか)。主人公の妻のあの手紙は、本当に妻が書いたものなのか…?と疑ってしまった。

 

『あの本は読まれているか』ラーラ・プレスコット

 冷戦下のアメリカでCIAにタイピストとして雇われるロシア移民の娘であるイリーナが主人公。ソ連では禁書とされているソ連人作家の小説『ドクトル・ジバゴ』をソ連国民の手に渡し、ソ連の人々が言論統制で迫害されていることを知らしめよう、というCIAの極秘プロパンダ活動に挑む女性たちの話。スパイ小説でありいわゆる百合小説でもありシスターフッドでもある、ストーリー性に富んだ物語で、素直に引き込まれた。

 

『シン・サークルクラッシャー麻紀』佐川恭一

 あまり仲良くない人にこれ読んでると思われるとちょっと嫌かも…と思ってしまうくらい下品なのだけど、熱すぎる創作論小説だった。何、これ?この人は文学に賭けているんだなぁ。佐川さん、面白い面白いとは聞いていたけど、なるほどな…と思った。

 

『アドルムコ会全史』佐川恭一
アドルムコ会全史

アドルムコ会全史

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 …と思って、続けて読んだ佐川作品。これ、結構好き嫌いは分かれると思う。インモラルで不謹慎で顰蹙モノなのだけど、残念ながら現実の戯画であるという皮肉。そこいらに迸る思考と血と精液。筒井康隆を彷彿とさせるエログロナンセンス不条理文学。薦める相手は選ぶけど、私は好き。ソローキンの『愛』が好きな人は好きかもしれない。

 

『「生きるに値しない命」とは誰のことか』森下直貴/佐野誠 編著

 1920年ドイツで出されて、後に安楽死政策の思想的下敷きとなった原典『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』の訳と、それに対する両著者の批判的考察がまとまった本。原典のタイトルからして壮絶で息が詰まる。そもそも算定しようとすることもどうかと思うけど、人の価値算定根拠を費用(必要な社会保障費、介護の労働力など)対効果(労働生産力、納税能力など)に求め、そのコスパが悪いと彼らが考える相手である知的障害のある人々などの命は「生きるに値しない」と言い切ってしまう凄まじさ。こういう思想に触れるといつも思うけど、自分が今糾弾している側にいないことは偶然の産物でしかないことや、明日はそちら側にいるかもしれないことを露ほども想像していない無邪気さと想像力の無さ、傲慢さに驚く。来たる超高齢社会や感染症の流行などによるトリアージの問題で、こういった思想がいつでも顔をのぞかせる可能性がある怖さもある。

 

津久井やまゆり園「優生テロ」事件、その深層とその後』佐藤幹夫

 『「生きるに値しない命」とは誰のことか』を読むとこの事件を思い出さずにはいられなかったので買った。(この本のことではなく一般的な話として)個別の事象の間に因果関係を強引に見い出そうとするのは危ないと思うのだけど、とはいえ政治、経済、外交、戦争、福祉、全部地続きの同じ社会で起きているから、事象同士の相互作用は当然に起こり得るな、という当たり前のことを思いながら読んだ。あとこの本と『7・8元首相銃撃事件 何が終わり、何が始まったのか?』との間で、前者では介護や看病を担う母親の顔がフィーチャーされ、後者では家族の災厄をなぜか女性が背負って、どちらにしても女性が「家庭」に閉じ込められがちである、というところが共通していて、家父長制というキーワードで繋がった。

 

エルサレムアイヒマンハンナ・アーレント

 映画『ヒトラーのための虐殺会議』鑑賞前後で数冊関連本を読んだ中の一冊。アイヒマンは『ヒトラーのための虐殺会議』で描かれているヴァンゼー会議で議事録を作成した人で、ホロコーストに関わった人物だけど、本書では、彼は上司の命令に従っただけで、強いイデオロギーも持っていないし殺意もない、無思想で平凡な人間であった、と書かれている。確かに出世欲も強かったようだし、その向きもないことはないと思ったけど、とはいえ後段は本当かな?と思った。映画でもそうだけど、ユダヤ人に対する差別意識があまりに自明のことになっていて、それを内面化しすぎているがゆえに無思想、という印象がある。

 

『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル

 これはさすがに名著…。心理学者である著者による強制収容所の体験が綴られている。収容されている人たちの間にもカーストがあり、同胞に惨いことをする人もいれば、稀とはいえ自分の朝食から取っておいたパンをそっとくれる監視兵もいた。最後は人肉食まで起こったと言われている極限状態の収容所で、著者はこんな状態だから人間性を手放しても仕方ない、とは言わない。サラマーゴの『白の闇』を思い浮かべたりもしたけど、自分がこの状況で尊厳を手放さないとは言い切れないと思いつつ、酷いことをするのも人間だけど慈悲深いことをするのも人間なんだなと思った。人間、難しい。

つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。—112頁

 

ヒトラーとナチ・ドイツ』石田勇治

 いかにヒトラーが国民を惹きつけ上り詰めたのか、どのようにして独裁体制を作り上げたのかが、順を追ってすごく分かりやすく書かれている本。どれだけ最悪に見える政策や政治行為であろうと、根拠となる法律やルールはきちんとその前に首尾よく作られていて、あくまでそれには則っているから、(当然最悪であっても)違法性はない、という構図でどんどんと突き進んでいくのが印象的。よく分からないけど知らん間にいっぱい怪しい法律ができていてもうその頃には手遅れ、という怖さは普遍性がある。ヒトラーが『我が闘争』で宣伝活動について書いた一節が、そういった状況を生んでしまう国民の性質を良く言い表していて怖かった。

巨大な大衆の受容能力は非常に限られており、理解する力も弱いが、忘れる力は大きい。—75頁

 

ホロコーストスタディーズ』ダン・ストーン

 ホロコーストはドイツが強く推し進めたとはいえ、ヨーロッパ諸国の主体的な協力体制があったからこそ成し遂げられた(という言葉はすごく嫌だけど)ことや、よく言われる収容所における分業体制によって機械的に淡々と処理されていたという話は、実際にはあった非合理性とそれに伴う残虐性、そして人種差別精神が薄まってしまう危険性があるということなど。ヒトラーの野望の主眼はやっぱり純血なる(純血ってそもそも???の概念だなと思うけど)民族共同体の完成にあるのだなと思わせる。私は不勉強なのでそもそもユダヤの人々がなぜこんなにも迫害されているのかがよく分からず、理由は本書にも書かれてはいるけどなんだか陰謀論みたいだなとも感じられるので、『ユダヤ人の歴史』という本を今度は読んでみようと思う。

 

『独裁体制から民主主義へ』ジーン・シャープ

 独裁体制にある国にまつわる本を読んでいるといつも、もし日本がそうなった時に、果たして止められるんだろうか?と思う。やっぱり独裁体制といっても民衆の積極的、あるいは消極的(諦めなど)な支持は必要で、それがないと成り立たない。その中で独裁体制を倒すことはできるのか?という問いに対して、著者は「できる」と書いている。独裁政権の弱みを分析し、周到な戦略計画を立て、あくまで非暴力的な闘争を行うこと、とある。が、やっぱりそうしたとしても犠牲が生じるリスクは当然にあって、ハードルが高い。今一応民主主義である国にとっては、グラデーションのようにじわじわと独裁体制っぽく傾きつつあるその途中で手を打たなきゃいけないんだろうなと思う。