これまであまり意識してなかったけど、私はたぶんSFが好きだ。ロボットが出てきて~とか、宇宙に旅に出て~という話、またタイムリープすることができて~とかの本格SFも好きだけど、それよりも、近未来では現代では考えられないことがもはや当たり前になっていて~とかいうユートピア、もしくはディストピアの物語が好きなのだと思う。例えば村田沙耶香さんの『消滅世界』や『殺人出産』的な世界観とか。これをSFというかどうかは解釈によると思うが、科学が発達した先の近未来での話、という点ではSF的と言ってもいいのかな、と私は思う。(ただこの二作は「これをSFと言っていられるうちは平和だよね」というような怖さのある実にリアリティーのある小説だが。)
そんな私が目下興味があるのがAIだ。それも市井の人間の日常生活にいかにAIが入り込んでいくか、ということに興味があって、それっぽい映画を最近二本観たので、簡単な感想を残しておく。
※ネタバレになる要素が含まれているかもしれないので、注意してください。
テストされるのはAIか、それとも?
製作国:イギリス
監督・脚本:アレックス・ガーランド
出演:アリシア・ヴィキャンデル、ドーナル・グリーソン、オスカー・アイザック
検索エンジン最大手の会社ブルーブックに勤めるケイレブが、社内抽選により社長のネイサンの別荘に一週間滞在する権利を得る。その別荘で待っていたのは美しい女性型ロボット「エヴァ」。ケイレブはネイサンに依頼され、エヴァに搭載された人工知能のテストに協力することになるが…というお話。
エヴァはあくまで人間が創作したものだが、果たしてそんなAIは自らの意思によって思考を展開するのかどうか。AIが自らの意思で人間を愛せるのか?というあくまでも創造主である人間側の視点に立ってテストが展開されていくが、本当にテストされていたのはAIではない。人間がAIを愛することができるのか、ということを試されているのである。
劇中では人間とAIの間で心理戦が繰り広げられるが、そもそもAIの"心理"って何なのか?人間がプログラミングしたものなのか、それとも人間によるプログラミングの結果得た知能によってそこからAI自身が生み出したものなのか?
そうなると、知能を持ったAIが自ら生み出したAI、つまり子AIの思考は誰のものなのか?ということにまで頭がぐるぐると回ってしまい、袋小路に入ってしまった。
また本作は、出てくるAIがいずれも女性ロボットであることにも意味があるように思えた。創造主であるネイサン、つまり男性が女性AIに対して全てを「教えてやっている」つもりでいるが、果たして本当にそうなのか?女性AIについて全てを「分かった」ような気で議論しているが、本当は何も分かっていないのではないか?自分の都合の良いように作ったつもりでいた女性AIにも、それが誰のものかという議論はさておいて、意思はあるのだ。
本作のラストはハッピーエンドともとれるし、アンハッピーエンドともとれる。解放と読むか、裏切りと読むか。こういう解釈の分かれるラストが好みなのでとても面白かった。
AIの機能性の高さが持つジレンマ
製作国:アメリカ
監督・脚本:スパイク・ジョーンズ
他人の代わりに想いを込めた手紙を書く"代筆ライター"のセオドアは、幼馴染同士で結婚したキャサリンに別れを告げられ、傷心の日々を過ごしていた。そんな彼がある日人工知能型OSのサマンサと出会う。サマンサは肉体を持たず声しか発することができないが、優しくて賢い彼女はセオドアの傷を癒していく。そんな二人が徐々に恋に落ちていき…というお話。
自分の特性にフィットするように作られたOSが自分の心の糧となるのは自然なことだろう。OSとのこれほどまでに絶妙な会話の応酬は、何も言葉にせずとも自分の心の全貌を知ってくれるということは決してない生身の他人との間では叶わない。またOSのサマンサも、肉体を持たないがゆえにセオドアとどこまでも共に行動するできることによって様々な世界を目にしていく中でセオドアを好きになり、ときめいたり嫉妬したりする感情を手に入れていく。しかしその感情が果たして自分のものなのか、プログラミングされているものなのか、それがサマンサにも分からず苦悩する場面が切ない。
こうしてAIが高性能であるがゆえにセオドアの心に誰よりも寄り添い、大切な恋人となるが、高性能であるからこそサマンサのOSのバージョンアップ速度はとてつもなく速い。少し考えればOSが膨大な数の同時処理が可能であることくらい分かるが、セオドアにとってはたった一人の恋人であるサマンサは、同時に膨大な数のユーザーとのコミュニケーションを"処理"している。それはPCなんだから当たり前のことなのに、PCが恋人だとそう簡単に割り切れない。
近い将来、人間とAIとの恋愛は大いにあり得ることだと思っているが、どちらかというと一対一、唯一無二の恋人同士の関係を望むことが多い人間に、AIとの恋愛は向いているのだろうか。同時処理機能やプログラミングされた感情ということから目をそらし、ひたすらに目の前のAI、自分だけに語り掛けてくるAIに没入できれば、生身の他者のように自分を裏切ることのない、これ以上ないまでに最高の恋人になり得るが、どうなんだろう。
またこの作品はAIだけでなく、コミュニケーション不全もテーマの一つだと思った。別れた妻と、何が不安でそれをどうすれば取り除けるのか、きちんと向き合うことができていれば違う結末だったのかもしれない。
またセオドアの職業"代筆ライター"も興味深かった。本来自分で手紙を書くところを代筆ライターに依頼し、いかにも心のこもった手紙をライターが作成し相手へ送る。言葉も筆跡も自分のものでないその手紙にどれほどの意味があるんだろう?と思ったが、何も送らないよりマシなのか?その代筆手紙で相手へ自分の本当の思いを伝えられたことになっているのだろうか?それに、これだけテクノロジーが進化している中でなら代筆メールでも構わない、むしろそちらの方が主流なのではないかと思うが、それでも"手紙"という手段を選ぶことに、希薄化したコミュニケーションへの渇望を感じた。
どちらもAIとの恋愛がお話の肝になっているが、AIの感情が自然発生したそのAI独自の本物の感情なのか、それともプログラミングされている感情なのか、AIから発せられる声だけでは全く分からない。観ている私が人間とAIの切ない恋愛関係に感情移入しそうになった瞬間に、「いや、本当にこのAIは相手のことを愛しているのか?プログラミングされているだけなのではないか?」とどうしても疑ってしまう。そういう意味では劇中のAIは信頼できない語り手であり続けていて、その不安定さがストーリーをより面白くしていると思った。