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服従が生む熱狂と快楽 『ファシズムの教室』・『服従の心理』

 日本史の学び直しに興味があってそういう本を読んだのだけど、近現代史、特に戦争前後についてもっと知りたいなと思った一環で読んだ2冊について、自分用のメモを残しておく。

 

 この2冊はどちらもとある体験授業や実験における結果とそれに対する分析をまとめた本。

ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』(田野大輔)における体験授業

ファシズムの教室:なぜ集団は暴走するのか

ファシズムの教室:なぜ集団は暴走するのか

  • 作者:田野 大輔
  • 発売日: 2020/04/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 とある大学で行われていた体験授業について、その教授が書いた本。この授業ではファシズムが何たるかを学んだ後、実際にファシズムを体験する実習がある。白いワイシャツ、青いジーンズという制服を身にまとった学生たちが、自らが賛成の拍手によって選んだ田野総統(教授)に向かって「ハイル、タノ!」と敬礼をし、笛の音に合わせて行進をする。この集団の共通敵はキャンパス内でイチャイチャするリア充カップルであり、グラウンドでそんなカップルを見つけると全員で取り囲み「リア充爆発しろ!」と糾弾する。

 結果は、最初は恥ずかしがったり戸惑ったりしていた生徒たちが徐々に熱を帯び始め、声が揃い大きくなってくる。ちゃんと声を出さない生徒がいると「真面目にやれよ」と憤ったり、制服を身にまとった生徒たちが教室に集まってくると私服を着ている自分の方が肩身が狭くなったように感じたり、グラウンドで衆目を集めながらリア充カップルを糾弾することに「やってやった」という清々しさを覚えたりする。いたって善良な普通の生徒たちが指導者の命令に基づき、リア充カップルという罪なき人を糾弾する、という迫害行為に熱が入ってしまうという結果だった。※もちろんリア充カップルはサクラ。

 

服従の心理』(スタンレー・ミルグラム)における実験

服従の心理 (河出文庫)

服従の心理 (河出文庫)

 

  社会心理学ミルグラムが1963年に発表した通称「アイヒマン実験」。アメリカのイェール大学が募集した先生役の被験者は研究所の一室に通され、スイッチがずらっとたくさん並んだデスクにつかされる。そして実験者に「これは罰が学習に与える影響を調べる社会的意義のある実験だ。学習者が出された問題を間違えると電撃を与えるスイッチを押すこと。また間違えるごとに与える電撃のボルトを上げること。」と命じられる。たくさん並んだスイッチはボルトごとに30個あり、15ボルトから最大450ボルトまであるが、自らの手によって与える電撃に苦しむ学習者(※もちろん役者なのでわざと間違えて電撃をくらっている演技をしている)にいったいどこまでのレベルの電撃を与えてしまうのか、という実験。

 この実験は様々なパターンで行われたが、概ねの結果は特別サディスティックな性質を持っているわけでもない被験者の多くが、学習者が電撃に苦しみ叫んでいると分かっていながら、実験者の命令に逆らえず、あるいは自発的に、最大レベルの電撃を与えてしまう。

 

 どちらも、いたって善良な普通の人間が、大学の教授扮する総統や権威ある大学の実験者の命令に逆らえず、あるいは自発的に迫害行為をしてしまう、という結果だった。どちらも第三者からすると「自分はそんなひどいことはしない」と思ってしまうが、これがそうではない、という怖さ。

 ミルグラム曰く、服従は権威システムのもとで、人間が個からエージェント(代理人)状態へ移行することにより発生するという。権威システム自体は家族や学校、会社などいたるところに実際にあるものだし、それによってその組織の秩序や安定が保たれている部分もあるので存在悪ではないと思う。ただしその権威システムが誤ったイデオロギーを持ち、その思想に基づいた行為に正当性を与えてしまった時、エージェント状態へ移行した個人はそれに服従し、本来なら行わないような酷いことだってしてしまうことがあるらしい。

 その場に働く要素を『ファシズムの教室』では分かりやすく3つにまとめている。

①集団の力の実感

 「赤信号みんなで渡れば怖くない」精神。たった一人で青ジーンズに白ワイシャツをインして「リア充爆発しろ!」なんて叫べないが、自分以外にも同じことをしている生徒がたくさんいる。そこで生まれる一体感と高揚感。『群衆心理』にもそういった集団の力については詳しく論じられていた。

popeyed.hatenablog.com

②責任感の麻痺

 ミルグラムの実験においても、実験者に「この電撃は身体には悪影響がない」と保証されて強い電撃を与えることができた被験者や、「この問題に答えられない学習者が悪い」、「学習者もこの実験(罰が学習に与える影響を調べるという建前の実験)に自ら参加しているのであり、承知の上だ」などと責任を転嫁する発言が見られた。「偉い人に言われたからやったまでであり、自身の意思ではない」という認識で責任を回避する姿勢である。また作業の分業化が進めば進むほど自分の手で鉄槌を下した感覚を強く持たずに済む、という意味での責任感の希薄化もあるだろう。

③規範の変化

 本来なら「人が嫌がることはしてはいけない」という一般道徳があって、その道徳心は体験授業の生徒たちもアイヒマン実験の被験者たちもみんな持っているが、その場で権威のある者から強く指示されている状況では、守るべきルールがそうした道徳から「偉い人の命令に背いてはいけない」、「今自分が所属している(服従中の)集団の和を乱してはいけない」というルールへと変わる。

 

 こうした3要素を兼ね備えた状態で服従心が強くなっていくにつれて、もうそこから降りられなくなるのも怖い。途中でやめれば、今までしていた自分の行為の非を認めることになるからだ。自分の行動の一貫性が保てなくなる。その矛盾を糾弾されるのが怖いので続けるしかなくなる。

 

 そういう意味では服従状態は緊張状態にあると言えるが、その緊張を解消する方法は大まかに2通りであり、1つ目は徹底的に責任を回避すること、被害者から目を背けることでより服従に没頭することであり、もう2つ目はいよいよそこから降りる、非服従の態度を取ることである。しかし後者は精神的コストが高い。権威のもと服従している集団の中で反旗を翻すことはどう考えても相当なパワーがいる。権威者から言われたことをその通りに実行しているうちは、そのイデオロギーが生きているうちは、自分で何も考えなくて良いし自分に責任はないと思えるし、そこにいれば自身が損をすることもない。それがその時その状況を切り抜ける最もコストの低い選択肢なのだろう。そのうえ集団の力が働きそこに所属することによる高揚感や優越感もある。そこにファシズムの肝があるとこの2冊を読んで思った。服従している方が楽なのだ。人は思考停止の快楽に弱いのではないかと思う。

 

 こうしたファシズムは国家レベルでなくとも、いじめやヘイトスピーチなどの中で起こっているものと性質的にはあまり変わらない。ではこうしたファシズムに加担しないためにはどうすれば良いのか。

われわれが受け入れを求められる確実性が、体験の確実性と衝突するようでは、われわれの自己表現は根底から覆ってしまうのである。だからこそ、あらゆる国における自由の条件とは常に、権力が固執する規範に対する広範かつ一貫した疑念なのである。—『服従の心理』278頁

 自分を含めて人間は権威システムのもとでいつでも残虐になれる、その可能性があるということを「知っている」ということが少しでも抑止力として働くのだろうか。ミルグラムの実験で比較的早めに非服従の態度を取った被験者や、その後自分のした行動の全ての責任は学習者でも実験者でもなく自分にあると全くもって責任転嫁しなかった被験者がいたが、彼らはどちらもヨーロッパ出身でファシズム政権を目の当たりにした人だった。そうしたどの人間にも孕んでいる危険性を「知っている」人だった。歴史を勉強する意義の一つにはこうした抑止力に繋がる知識を持つこと、時の権力を正しく疑うことができるための知識を持つことにあるのかなと思った。

 

 ただ『服従の心理』では人が服従し残虐な行為をすることも厭わなくなるのは強い権威のもとであり、本来の人間は基本的に道徳心を持った善良な生きものであるという話だったが、その要素だけでもない気はした。昔々に貧富の差が生まれて以降人間社会には階級システムがあって、自分より上を見てはキリがなく不満が募り、自分より下を見ては自分とは違う人だと線を引くことで安堵し自分を保っていられる、という性質があると言うと露悪的だろうか。そうした生来の性質は普段は道徳心や倫理観のもと、個々人の中でできるだけ制御されているが、強大な権威によって正当性を与えられ、時の政権に最大利用された時に、ファシズム的状態となるのでは…?と思った。

 

今後読みたい本

  新聞書評に載っていた。『ファシズムの教室』にはヒトラーが国民を掌握したその方法についても触れられていたが、興味深かったので。

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 古典の名著。精神分析学者の強制収容所体験。

 

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

 

  人からおすすめされた。

 

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)
 

  積んでいる本。やっぱり近現代についての知識が不足しているので…。

 

 そのほか、できるだけ左右どちらにも偏りのない本を探している。