読んだもの見たもの聴いたもの

本やアイドルが主成分

不死がもたらす幸と不幸 『だれも死なない日』ジョゼ・サラマーゴ

 翌日、人はだれも死ななかった。人生の規則に絶対的に反するこの事実は、さまざまな状況のもとで、人びとの心にとてつもなく大きな、完全に正当化できる不安を引き起こした。—7頁

 元日になったとたんに、とある国だけで、人が死ななくなった。人は変わらず老いるし、病気にかかるし、事故にも遭うけど、それでも死ななくなった。老衰、瀕死の状態で生き続ける世界は、死なないというよりは「死ねない」世界になっていく。あまねく人類の願いだと思われていた「不死」が社会にもたらす影響とは…というお話。

 も~~~新年早々面白すぎて本当に良かった。人が死ななくなるという設定は知っていたものの、まさか元日を境に、とは知らず、たまたま元日に読んだのでニヤついてしまった。

サラマーゴ作品を読むのは二作目だけど、サラマーゴ特有の地の文と会話文との区別がはっきりしない文章、一節一節を句読点で繋げる長い文章が、ものすごいテンポでぐいぐい読ませてくるので私は好きだな。というか作風も含めて、サラマーゴがだいぶ好きかもしれない。

以下、ネタバレを含むので未読の方は注意してください。

 

 この本はざっくりいうと二部作構成でできていると思う。前半は急に人が死ななくなったことによって社会に起こる様々な不都合を描いたドタバタブラックユーモアとでもいうべき展開で、これがまあ面白い。

人が死ななくなれば"復活"という概念がなくなるので神の存在を否定することになると慄く教会団体、そもそも仕事がなくなる葬儀会社、重篤患者や老衰した入所者が死なないのでベッドの稼働率が急上昇していく病院や老人ホーム、生命保険の解約申し込みが殺到して窮する保険会社…教会は除いて、そのビジネスモデルに多かれ少なかれ人の死が組み込まれている業界が次々と窮地に立たされていく。

そうするとそうした公の場で収容しきれなくなった死が近い(けど絶対に死なない)人の世話は家族が一手に引き受けることとなり、今度は家族が次第に疲弊していく。サラマーゴの、突然盲目になる感染病が流行る『白の闇』でもそうだけど、こうした窮地において普段は理性で覆い隠しているエゴや自己保身精神、自身の生存本能が剥き出しになっていくというシーンは、その人たちを完全に責める気にはなれないので難しい。究極の場面で人間の道徳心が試されるわけで、自分ならどう考えどう行動するだろうか、と想像させられる思考実験的なストーリー展開が面白い。

また、そうして家族を死なせたいと思ってしまった人や、あるいは自分でもう死にたいと思う人が、死ぬために通常通り人が死ねる隣国へ向かって国境線をまたごうとする。そしてそうした作業を請け負うことをビジネスにしようと暗躍する闇業者も出てくるわ、隣国は領土侵犯だと抗議して軍を配置するわの大騒ぎとなっていく。

 

 この一連のドタバタ劇が来たる高齢社会の戯画のような気がしてならなくて、皮肉がきいているなぁと思った。死なないとは言わずとも、寿命が延びることは良いことなのだけど、それに伴って健康寿命も延びなければ満足に動けない時間が長くなることと同義であり、生き続けることはすなわちあらゆるコストがかかることだという現実を思わずにはいられない。この本の中でも経済学者がこのままいけば将来の年金は払えなくて国の財政は破綻すると提言するシーンがあるのだけど、これはもう老後に一般的な暮らしを営むためには世帯で2,000万円は持っていなければ厳しいですよといういつぞやの日本の報告書とほぼ一緒では…?と思った。

 

 そして後半。

親愛なる各位、貴殿と、貴殿に関係するすべての方々にお知らせします。今夜午前零時以降、ふたたび人は死にはじめます。—116頁

 人が再び通常通り死ぬことになるという声明を出した、死を擬人化させたいわゆる死神のようなイメージの「死(モルト)」が主人公となる。そしてモルトは人の死にあるルールを設定する。自分が書いた紫の手紙により、人々に一週間後に死ぬことを郵便で通知するようにしたのだ。

これもまた思考実験に近いのだけど、一週間後に死ぬと宣告されたらいったい何をするだろうか。私ならそのことを誰にも言わず、誰にも会わずに普段通り暮らして、貯金や有価証券を全部現金化させて兄弟それぞれに均等に分けて封筒に入れておき、自分がちょうど死んだ頃に届くように合鍵を兄弟の家へ郵送する手続きをして、死んだ後にお金を取りに来させるように仕向けるかもしれない。

 

 こうしてモルトは人々がそれぞれに運命づけられた死期を伝えるため、毎日せっせと手紙を書き続けるのだけど、そこでどうしても返送されて手紙が届かない相手、チェロの演奏家の男が現れたところから、この物語は読み始めた頃に想像していたものとは全然違う方向へ舵を切っていった。

詳しくは伏せておくけれど、ラストは読者によって解釈は様々だろうと思う。私は、ほかでもない死(モルト)が、演奏家の「不死」を願ってしまったのだ、そしてこの職業との矛盾した気持ちにはどうしても抗えなかったのだ、と思った。薄暗い部屋で一人手紙を書くだけの日々を送っていたモルトが自分の孤独に気が付いてしまった、だからもう手離せなくなったのだと思った。

自分が生きたい、あるいはこの人に生きていてほしい、と思う気持ちには突き詰めればエゴが含まれているのかもしれないけど、それは人間が持ち得る人間らしい感情であり、モルトがそれを獲得してしまったことは果たして幸か不幸か…という余韻を残す物語だったと思う。

途中まではユーモアがふんだんにきいていてニヤニヤしながら読んだのに、最後になるにつれてとてつもなく切なくなってきて、この本でこんな感情になるとは思っていなかった。

 

連想する本

popeyed.hatenablog.com

 二作しか読んでいないので知った口はきけないけれども、サラマーゴは本当に面白いなぁ。もしかしたらすごく好きな作家かもしれない。他の翻訳本も集めてみようと思う。