読んだもの見たもの聴いたもの

本やアイドルが主成分

他にもあった面白本 2021年上期編

 特別たくさんの感想がわいてきた本については個別で感想を書いたりしているのだけど、そういった本以外にも面白かった本はたくさんあったので、まとめておく。

1.『数学する身体』 森田真生

 Snow ManがVTRで出演した深イイ話の中で阿部くんがこの本を読んでいたので、私も読んだ。 数学史の概観から現代数学に繋がるアラン・チューリング岡潔という二人の数学者を中心に取り上げて、「数学する」とはどういうことか、ということに迫るエッセイ。

「数学」という一見理論だっていて正解は一つしかない明確でありそうな学問が、チューリング然り岡潔然り最終的に「心」へと関心が向かうのが面白かった。岡潔曰く人間が「わかる」ようになるということは計算や証明によってだけでなく、自己が変容することもその手段となり得る、ということらしいが、自己が変容するには知識や経験のインプットが必要なのではないか。数学を身体化するとはそういうことなのか、と思ったりした。

 

2.『僕たちは、宇宙のことぜんぜんわからない』 ジョージ・チャム、ダニエル・ホワイトソン

 去年の映画『TENET』ブームにより物理学入門書を引き続き読みたくて手に取った。これは宇宙について「わかっていない」ことを明らかにする本。宇宙について解明されていない95%に一体何が存在しているのか。知らないことと存在しないことは違うのだな。『TENET』を見て以来、もともと好きだった科学館へももっと興味を持って行くようになり、そうした派生がめちゃくちゃ楽しい。

 

3.『時間旅行者のキャンディボックス』 ケイト・マスカレナス

 読んでいてシンプルにワクワクした本。タイムトラベルが発明された1960年代のイギリスを主な舞台として、それぞれに違う時代を生きる女たち三人がとある殺人事件の真相に、過去から未来から迫っていく、というお話。この本はSFというジャンルの中でも、時間旅行ができるようになったことが人間に与える精神的副作用をメインテーマの一つとしているのが面白い。過去に戻れば死んだ人に何回でも会えるので死生観が狂ったり、自分の記憶もそれが今現在思い出している自分よりも過去に起こったことなのか未来に起こることなのかが分からなくなったりする。なかには過去の自分とセックスする、というような性的倒錯プレイに耽る者も現れる。面白~~~!やっぱり「技術的にはできるけど、やらない」という選択をすることは難しいのだろうな。 

 この本はSFあり、ミステリありでとにかくめちゃくちゃ楽しめる作品。時間旅行を管理する組織「コンクレーブ」の設定も事細かく作りこまれていて面白かった。

 

4.『紙の動物園』 ケン・リュウ

 話題になっていた短編集をようやく読んだ。表題作については初手でこれはズルくない!?と思ったりもしたが(←ひねくれているので)やっぱり面白かったし、どれも良かった。

 なかでも好きなのは「結縄」。ナン族伝統の結縄を参考にして創薬に成功した開発者は、そのお礼として、干ばつによる不作で困っていたナン族に種籾を与えるが…というお話。原始的な民族に資本主義が導入される瞬間と、その民族にとって圧倒的不利な権利関係がいとも簡単に結ばれる"持つ者"たちの身勝手さ。こういう話はあらゆるところで起こっているのだろうなと思わせる。

あと、「心智五行」も私の癖(ヘキ)直撃の好きSFだった。科学が発達しきった現代人が乗り込む宇宙船のバグにより、原始民族が住む星へ降り立ってしまったタイラ。無菌で無感情で機械みたいなタイラが、その星の住人ファーツォンに介抱され触れ合ううちに変化していく…というお話。SFラブが本当に好きすぎる。

反省としては、全体を通して中国政治や中国の歴史についての知識がもっとあればさらに深く読めたんだろうな、と思いはしたが、それを抜きにしても面白い短編集だった。

 

5.『 蹴りたい背中』 綿矢りさ

 今更感がすごいが今更読んだ。綿矢りさは『夢を与える』以降文庫化をしている分は全て読んでいるのだけど、なぜか『インストール』と『蹴りたい背中』を読んでおらず、読むタイミングを完全に逸した状態だった。で、読んだらやっぱり傑作だった。

 クラスで浮いている者同士の初実とにな川の奇妙な関係。初実にとってにな川は友人でも恋人でもないが、ただのクラスメイトでもなく、憧れ?好き?気持ち悪い?全部全部入り混じったような複雑な感情を向ける相手になっていく。この感情の混沌に性的衝動がさらに混ざり合う感じがヒリヒリする。また今の綿矢さんの作品に通ずる良い意味での意地の悪さはこの頃からキレッキレだったのだなということもよく分かった。

部員たちは、先生の小さなミスをきゃっきゃ笑い、先生決死のギャグ(あまり冴えない)にもきゃっきゃ笑って応えることで、今年から顧問になった白髪で口が曲がっていて説教くさいこの先生を、「厳しいけど、ちょっと抜けてる先生」という市販品に仕立て上げることに成功した。先生は、実は明るい人間だったんだ、とばかりに、彼女らに"歩み寄る"。需要と供給がマッチしたってことなのかもしれない。—52頁

切れ味が鋭すぎてズタズタである。綿矢さん大好き。

 

6.『移民の経済学』 友原章典

  移民政策の是非を考える時に争点となるいくつかのポイントについて、経済学の観点から考える本。入門書としすごく読みやすかった。

 少子高齢化が進み労働人口が減少するなかで、移民を受け入れることによるマンパワーが必要になるのでは?と思うことがあるが、受け入れた場合移民と「競合」してしまう国民にとっては厳しい展開が待ち受けているのかもしれない。移民のマンパワーに取って代わられないほどに高技能、高学歴、高レベルの資格等、高いスキルがある人にとっては、むしろ子育てや介護サービスにおける人手不足を補ってくれる可能性のある移民は良いかもしれないが、取って代わられる可能性のある人にとっては自分のポジションを脅かす存在になり得る。そうなると今まで以上に日本人同士の間の格差が拡大する可能性がある。

また本書では触れられておらず完全に知識不足の自分の想像に過ぎないのだけど、日本は将来的に「移住したい国」で在り続けることができるだろうか、ということも考えてしまった。「安全で住みよい国」として選ばれることはあっても、「稼げる国」として選ばれるのだろうか。

 

7.『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 マイケル・サンデル

 培われた能力は本人の努力だけでなく、その人の出自、家庭環境などの環境に依るところもあるのに、そのことに無自覚な一部のエリートは能力のない者を「努力不足」と一蹴し、社会で分断を生んでいる…という話。イギリス、オランダ、ベルギーで行われた調査(その後アメリカで似た調査を行っても結果は同じ)で分かった、大学教育を受けた回答者は教育水準の低い人々に対するマイナス感情が、その他の不利な立場にある人々(宗教や人種、貧困、身体的不利など)よりも大きい、という結果が印象に残った。人種差別やジェンダー差別などは許されないという真っ当な価値観が共有され始めている中で、最後まで許される差別が学歴である。なぜならそれは個人の努力次第だからである、という考えが透けて見える結果であった。

 もともと表題の通り「実力も運のうち」であるということをずっと考えていたので、本書を見つけてすぐに買ってしまった。自分に置き換えて言うと、学生時代、家計に余裕があったり、両親も大卒だったり、進学塾や予備校に通えたりするクラスメイトたち、つまり自分にはない環境を持った子たちと自分も肩を並べて進学するのだということが勉強するモチベーションの一つだったのだけど、そんな私でも例えば家で勉強なんてしてないでバイト代を家計に入れてくれと言われたり、弟の世話や祖父母の介護で時間に追われていたり、などの事情で勉強できない環境だったわけではなくて、頑張って勉強すれば何とかなるかもしれない、と希望を持てる環境にいたのである。そのこと自体運が良く、今自分のいる環境(別に特別優れた環境では決してないが)はその運の良さの上に成り立っているのだ、ということをずっと考えている。

 

8.『一九八四年』 ジョージ・オーウェル

 面白すぎて卒倒するかと思った!!〈ビッグ・ブラザー〉率いる党が支配する全体主義的な世界で、党員として〈真理省〉に勤め、〈ビッグ・ブラザー〉の都合の良いように歴史を改竄する仕事を担う主人公のウィンストン。そんなウィンストンがある時奔放なジュリアに恋をしたことがきっかけで、とある伝説的な反政府組織に興味を持つようになり…という話。

 〈ビッグ・ブラザー〉が掲げる「戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり」というスローガンが妙に真実味を持って感じられるのが面白い、というか怖い。例えば、この国でせっせと鋭意作成中の〈ニュースピーク〉と呼ばれる言語はその辞典の改訂ごとに語彙を減らしている。では、なぜ減っているのか。

分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。必要とされるであろう概念はそれぞれたった一語で表現される。その後の意味は厳密に定義されて、そこにまとわりついていた副次的な意味はすべてそぎ落とされた挙句、忘れられることになるだろう。—82頁

〈ビッグ・ブラザー〉の戦略がいかにして成功しているか、についても。

ある意味では、党の世界観の押し付けはそれを理解できない人々の場合にもっとも成功していると言えた。どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け容れさせることができるのだ。かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているのかを十分に理解せず、また、現実に何が起こっているのかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ。理解力を欠いていることによって、かれらは正気でいられる。—241頁

 今何が起こっているか分からない、そもそも関心がない、それを表す言葉も知らない、だからもう考えもしない。こうした無知を時の為政者や権力者に最大限に利用され、それが社会の「力」になる恐ろしさ。過去に読んだレイ・ブラッドベリの『華氏451度』ローズ・マコーリーの『その他もろもろ』ザミャーチンの『われら』を思い出すような薄ら寒さと、それをぐいぐい読ませるストーリー展開で本当に面白かった。さすが世界文学の名著!ロングセラーはやっぱりすごい。

 

9.『日常に侵入する自己啓発』 牧野智和

 あまりにひねくれているので自己啓発書は読まないのだけど、今どのような自己啓発書が流行っているのかを書店で見るのは好きなので、この本を読んだ。←この一連がすでにひねくれていて自分でも嫌になる。

 そもそも自己啓発本とは何かという問いに対して、本書に出てくるとある編集者が「二度考えないメディア」と答えているのが興味深かった。最大公約数的な価値観(ex.将来出世するためには20代のうちにこのようなことをしておいた方が良い、手帳を上手に活用できると仕事の効率が上がったり夢が叶ったりする、綺麗な部屋が人生の風通しをも良くする、的なもの)を前提として展開される内容であり、その前提を疑うそもそも論を展開するような内容では売れない。かつ、啓発書が導く成功は個人の経済資本や文化資本といった社会的背景はいったん置いておいて、「誰でもたった一つの習慣を行うことで人生を変えられる」といったようなシンプルさが必要である。そうしたどのジャンルの自己啓発本においても共通するベースを持ちつつ、文字数やページ数の減少、図解化、漫画化などによって可読性を高めることで多忙かつコンテンツ供給過多の現代人を読者層に取り込んでいく、という流れで今日に至っているようだ。取り上げるテーマ、内容、それを構成するページの段組みなど、全てを含めて自己啓発本は社会の「今」を映し出す鏡なのだなと思った。

 

10.『るん(笑)』 酉島伝法

 酉島伝法の本を読みたいと思って『皆勤の徒』をずっと積んだまま、『るん(笑)』を先に読んでしまった。三編からなる短編集だが、全てスピリチュアルと科学が逆転した世界を描いている。読んでいるとこちらが変な熱に浮かされるような、悪夢的な作品。

 体温は高い方が良い、薬に頼るのは良くない、乳児は母乳で育てた方が良い、AB型は二重人格云々、どれも何となく聞いたことのある内容だが、それらが完全なる「正義」であり「善」である世界に放り込まれた時に、人は正常を保っていられるだろうか。そうしたその世界での常識や、当たり前になっているらしいがこちらでは聞いたことのない単語(例えば「丙気」(へいき)。病気の意。やまいだれは不謹慎なので使わない)がさも当たり前かのように連発されるので、読んで違和感を覚えている自分が異端者であるかのような錯覚に陥る。

ただこのような世界観も、実はすぐそばに存在しているのだろうな、と思う。それはスピリチュアルだけでなく、例えばコロナには花崗岩が効くとか5Gの電波でコロナが拡散するとか、社会情勢の不安定さと人心とが噛み合わさってしまった時に、眉唾物の話がいとも簡単にたくさんの人に信じられるという現象があるように。人は科学とかそんなものよりも、自分が信じたいものを信じるのだ。

 

11.『どの口が愛を語るんだ』 東山彰良

 四編からなる短編集。ジャケット買い。

 この中では「猿を焼く」が一番好きだった。脱サラして都会から田舎へ移住し"オシャレ農業"を始めた一家の息子がその地元の不良たちと出会い、いわゆる"アバズレ"とされる女子に恋をする話なのだけど、この田舎の独特の閉塞感に息が苦しくなった。田舎にいながらにしてできる刺激的なこと:喧嘩とセックス、独特のヒエラルキー、その中で起こる出来事は全て地元じゅうで筒抜けであるプライバシーの無さ。そうした環境に置かれて溺れそうになりながらも何とかギリギリ保っていた自我が崩壊していくラストは救いがあるようで無くて、重たい読後感だった。

 「恋は鳩のように」も面白かった。作中の世界はLGBTQへの理解がかなり進んだ世界。その中で、同性愛者であるということ、それをカムアウトできないということが、実はかえって本人のアイデンティティや恋人同士の結びつきを強くしていたのかもしれない、という視点はLGBTQを取り上げる作品の中では珍しいのではないか。三島由紀夫の『永すぎた春』ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』でもあるように、障害や秘密を内包した恋こそ盛り上がり、その恋が人に知られると途端に重荷になったり温度が下がってしまったりすることは、二人の性別やその組み合わせを問わず、よくあることだと思う。同性愛を描くからといって必ずしもその二人はそのことに葛藤していなければならないのではなくて、世の恋人たちが持つ普遍的な悩みに同じようにぶち当たり、同じように悩む。「恋は鳩のように」はそんな当たり前の話なのだと思う。 

 

  以上。それ以外にも面白いものはあったけど、キリがないので終わりにする。相変わらず読むペースは遅いし、今年は沼を増やしてしまったせいでオタク活動も忙しく、冊数的にはあまり読めていない。割に買うペースは速いので本棚にとうとう入りきらず、本棚の上にさらに積み始めてしまった。さらに本棚を増やせるような広い部屋に住むべく、頑張って働いてお給料を上げるしかない(意訳:本を買うのをやめる気はない)。