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批判力を高める 『火星からの侵略 パニックの心理学的研究』ハドリー・キャントリル

 自分が自覚している初めてのパニックは、初めて「ハロウィーン・ホラー・ナイト」が導入されたUSJに行った時だと思う。夜になるとUSJのパーク内にゾンビが多数発生する、という内容で、もともとお化けやホラー、オカルトの一切が苦手な私は行く前から怖かったのだが、いざゾンビが発生し始めると本当に怖かった。それはゾンビが怖いというよりも、ゾンビに逃げ惑う人間たちが怖かったのである。怪我をしないようにという配慮からか、ゾンビは一方通行からしか追いかけてこなかったと記憶しているのだが、自分の後ろから追いかけてくるゾンビよりも、後ろから悲鳴をあげて走って逃げてくる人間が怖かった。逃げる周りの人たちに合わせるように、私も走って逃げていた。その時、ゾンビがどんな姿をしているかはおろか、ゾンビが一体どこにいるのか、自分に実際に迫ってきているのかは全く分からなかった。何が怖いのかも分からず、周りの人たちが悲鳴をあげて逃げているからとりあえず自分も逃げるという状態で、その日USJから帰った後、これがパニックか…もし街を歩いていて突然通り魔が現れたら、あんな風にして逃げるんだろうか…と怖い想像までしたことを覚えている。USJのエンターテインメントでそこまで考える必要はないだろうが、それが私の性格なので仕方ない…。

 

 それ以来"パニック"という現象そのものにも興味があったのだが、この度のコロナウイルスでもパニックに近い現象が発生しているように感じたので、これを機会に読んだ一冊。

  1938年10月31日にアメリカで実際に流れたラジオ劇から端を発して起こったパニック騒動について書かれた本。ラジオ劇の内容はH・G・ウェルズの『宇宙戦争』を基にしたもので、火星人の侵略によって大きな被害と多数の死者が出たというフィクションを信じた人達が少なからず存在し、家から逃げ出す者、地下室へ避難する者、ラジオ局や警察へ連絡する者がたくさん発生し、逃げる車で道路は渋滞、電話線も混み合い繋がらないというパニックが起きたというのだ。

 そのラジオ劇は以下の流れで進んだ。

今からラジオ劇が始まるというアナウンスから本編へ→ニュース番組→火星に生じている異常についての速報が差し込まれる→速報からまた通常のニュースへ戻る→通常ニュースと速報中継が行ったり来たりする→いよいよ火星人が襲来、軍による戦いが始まる。ここから中継ばかりになる。目撃者の証言や教授の見解、大尉や長官のメッセージなどが流れる→幕間。ラジオドラマを放送していることの再アナウンス→本編へ戻る。火星人の勝利。主人公の独白→主演俳優による後書き的アナウンスラジオ劇終了のアナウンス

 少なくとも3箇所でこのニュースの内容がラジオ劇であると明示されているが、ラジオ劇だと気が付けた人と気が付けずパニックを起こした人との違いは何か。その大きなカギは批判力だという。

批判力がある人というのは、刺激を評価して、その本質的な性質を理解し、適切に判断し、行動する能力があるという意味である。―128頁 

  その批判力を左右する要因の一つに教育レベルが挙げられていたが、本書でも指摘されているようにもちろん一概には言えないだろう。ただし、例えば普段から本をよく読んでおりラジオで流れてくるニュースの内容のようなSF小説を読んだことがあって、とてもじゃないが現実ではないと気が付けたり、物理や生物、数学など何らかの知識がありニュースの内容に存在する矛盾、辻褄の合わない部分に気が付けたりすると、ある程度早い段階でこれはラジオ劇だと判断することができる。偏差値が絶対というのではないが、身に付けて全く無駄になるという知識はないのだ、という思いが改めて強くなった。

 

 ただし普段は批判力を有している人間であっても、このニュースを現実だと思い込んでしまった人達もいる。本来の批判力を弱めてしまう要素として挙げられていたのが危険な状況に直面した際の暗示への感受性の強さという個人のパーソナリティだ。その感受性を強めるものとしての不安定さや自信の欠如というものはよく分かる。その自信を埋めるものの一つが、上に書いた知識でもあると思う。また被暗示性を強めるものに信仰心も挙がっていたのは、無宗教の私からは想定していない要素で興味深かった。

 被暗示性というキーワードは先日読んだギュスターヴ・ル・ボン著の『群衆心理』でもたくさん書かれていたのですんなり頭に入ってきた。

popeyed.hatenablog.com

  また、当然ながらラジオの聴取状況も批判力の発揮に大きく関係する。やはり自室で一人で落ち着いてラジオを聴いていた人よりも、例えば信頼する誰か(家族や友人)から大変な有事が起こっているのでラジオを聴くようにと言われて途中から聴いた人の方が信じやすいし、誰かと一緒に聴いていてその相手がすっかり信じ切っている時、その人も同じく信じてしまうという現象が起きる。この"周りが信じて怖がっているから、自分も一気に怖くなる"という現象が、冒頭に書いた私のホラーナイトパニックだったと振り返って思う。恐らく自分一人でUSJにいるゾンビに対峙していたとしたら、気味は悪いがその正体は特殊メイクをした人間だと分かっているので走って逃げたりはしない。だが周りにいる何百何千という人達が一様にして逃げていたので、状況を批判することなくとりあえず自分も逃げた。あの時の自分はすっかり批判力を失っていた気がする。

 

 そして最後に指摘されていたのが社会的背景である。このラジオ劇が流れたのは1938年。第一次世界大戦の記憶とまもなく始まる第二次世界大戦が忍び寄る影でいっぱいの生活であったことが想像できる。そういった生活の中で失業して貧困に陥り生活が不安定になる、自分の生活、経済力等に自信が持てなくなる、というのはまさに被暗示性を強化する要素だろう。そのような不安定な情勢下ではニュースの途中にまさにラジオ劇中のような形で臨時速報が飛び込んでくることは珍しくないし、また火星人の侵略それ自体が火星人ではなくドイツ軍や日本軍であると自身で解釈し恐怖に陥りパニック行動に出た人もいるという。これはコロナ渦の今がそれに近い状況だと思った。コロナの影響で自身の身体、仕事、生活が脅かされている状況で不安定さが増すことで被暗示性が高まっている中、巷に溢れる雑多な情報を自分なりに解釈して信じ込んでしまうという現象が発生している気がする。

多くの人に尊重され、受け入れられている価値が危機に瀕していて、その脅威が取り除かれる予想が立たない時に、パニックが生じる。―211頁

 

 そういう意味では本書が取り上げているパニックは今後も十分起こり得る現象で、当時はメディアがほぼラジオに限定されているが、今はインターネットが発達しているので、パニックの範囲は更に広がるかもしれない。著者はそういった来るパニックに備えて批判力を高めておくことが大切であると書いている。批判力を高めるためにはいつも提示された説や現象に対して健康的な懐疑主義を身に付けておくことだ、と。だがこれは結構体力のいることだと思う。いちいち検証するのは面倒くさい。何でも疑うことなくすんなり受け入れた方が楽だ。だがパニックに陥って結果的に損失を被る(形は物理的に、社会的に等色々あるだろう)のも怖い。なので普段からのある種のトレーニングが必要なのだと思った。好奇心のまま様々な知識を獲得しに行くこと、その知識を持ってあらゆる面から考察することを怠らない、というトレーニングだ。

 

連想した本

流言の量は問題の重要性と状況のあいまいさの積に比例する。Rumor=importance×ambiguity

 

恐怖 (文春文庫)

恐怖 (文春文庫)

 

  文化人を標的にした連続殺人事件がきっかけで恐怖にさらされる文化人の話。「恐怖」を覚える人間の心理、「恐怖」とは何か。

 

大地のゲーム (新潮文庫)

大地のゲーム (新潮文庫)

  • 作者:綿矢 りさ
  • 発売日: 2015/12/23
  • メディア: 文庫
 

  おそらく一年以内に大地震が起こると分かっている土地で暮らし続ける恐怖の中で、どう生きるか。

 

宇宙戦争 (創元SF文庫)

宇宙戦争 (創元SF文庫)

 

  未読。読みたくなった。