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愛すべき"人間たち"の話 『東京百景』又吉直樹

 

東京百景 (角川文庫)

東京百景 (角川文庫)

  • 作者:又吉 直樹
  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: 文庫
 

  18歳で大阪から上京してきた芸人のピース・又吉さんから見た東京の風景と、その時そこに在った人間たちの話。単行本で既に読んでいたのだが、文庫化にあたり追加されたエッセイが一編あり、それが読みたくて再読。それが本当に好きで、買って良かった。

  わざわざこう書くと剣があるようだが、私はピースの大ファンというわけではないと思う。ネタを見たこともあるし、テレビに出ているのも見ているので好きだけど、二人のことをそう詳しくは知らない。又吉さんはその著作を読んでいるのでまだ知っている(風な気がしている)が、綾部さんのことはナルシストで自信家で女性が大好きな面白い人、という表層的なイメージしかない。だけど、又吉さんの描写する綾部さんが、私は大好きなのだ。

休憩時間に定食屋に入ると、綾部は「カルビ定食が一番美味いぞ。それにするだろ?」と言った。なぜ人の食べるものまで決めてしまうのだろうと不思議に思ったが、そういう人だった。―287頁

 この曇りなき潔さに目眩がする。私だったら「前ここで食べたカルビ定食が美味しかったんだ~」程度にしか言わない。私が強く推したせいで相手がカルビ定食を頼まざるを得ない空気を作りたくないからだ。だけど綾部さんはそんなことは気にしない。ここまではっきりと言い切られると、私なら言われるがままにカルビ定食を頼む。そして美味しかったら「ほんまや」と言って笑うだろうし、美味しくなくても「たいしたことないやん」と小声で言って笑うだろう。 そこまで想像した時に、又吉さんの目の前にいる綾部さんのことがとても好きだなと思うのだ。

 

 また、このエピソードも好きだ。

 一緒に街を歩いていても、綺麗な女性がいると綾部は必ず声を掛けた。

「恥ずかしくないんですか?」

 そう聞いた僕に綾部は、「プライドが高いから恥ずかしいんだよ。俺は毎日、さぼらず素振りしてるだけ。素振りもしてないのに、ヒット打てるわけないだろ?」と言った。綾部は眼に力を込めて力説していたので、「そうですね」と頷いたが、それはただのナンパの話でしかなかった。綾部は自分に憧れている者に対するように語っていたが、僕はどちらかと言うと呆れていたのだ。ただ、そんな変な部分には共感できた。―287頁 

 この圧倒的な真っすぐさ。ところかまわず綺麗な女性を見かけたらナンパすることも、自分が一番美味しいと思うメニューを相方に半ば強引に食べさせることも、この人はふざけているのではなく至って真剣なんだ、と思うと呆れることを通り越して清々しさすら感じる。

 

 又吉さんは自身でそう言うように、きっと自意識過剰な人なんだろうと思う。自身の行為が、言動が、周囲の目にどう映るのか考えてしまう。そう考える一方で、自分が周囲の人にそこまで見られていないことだって分かっている。のに考えることを止められない。だから苦しい。その点で綾部さんはかえって自意識が希薄なように感じられる。自分のやりたいことを、やる。シンプルな論理で動いている人間の眩しさに打ちのめされるような思いがした。

 

 このエッセイはそんな綾部さんの隣にいた又吉さんが、その自由さにある種触発されたのか、すごく正直に書いたとご自身でもそう言っている。ピースではできないが、自分がやりたいと思うこと。それがこのエッセイに詰め込まれている。だから、このエッセイには巻末の一編以外には、綾部さんのことはあまり出てこない。だけど表裏一体で常に又吉さんの生活にはピースが、そして綾部さんがいたんだろうと思う。

「相方なんだから、もっと綾部さんの優しさを世間に伝えてください」と幼稚な文章を寄こして来た人がいたが、そんなことはどうでも良い。優しさを与えてくれないと誰かを好きと思えないような、その程度の欲望で触れて来ないでいただきたい。優しいかどうかなんてただの状態に過ぎない。そんなものは、とっくに超越している。あらゆる要素を含み、得体の知れない生きものとして存在しているその人こそを隣りで笑っていたい。―296頁

 私が日頃想定し得るものを超えた、だけどまさしく「好き」なのだと思った。

 

 今綾部さんは「スターになりたい」と言って渡米中だが、綾部さんがスターになれても面白いだろうし、スターになれなくても 面白いだろう。いつか綾部さんが日本に帰ってきて久しぶりに隣同士に並んだピース二人を見た時に、私は泣くかもしれない。大ファンじゃないはずなのに。

 

友達でもなく、恋人でもない二人

 ピースと同じく芸人であるオードリー若林さんのエッセイ。若林さんと春日さんのバランスも絶妙。 

 

二匹 (河出文庫)

二匹 (河出文庫)

 

 クラスのはみ出し者二人が「二人」ではなく「二匹」になることによって築かれる、閉鎖的で誰も介入できない世界。 

 

裏ヴァージョン (文春文庫)

裏ヴァージョン (文春文庫)

 

  一応(?)友達同士であっても蜜月期あれば倦怠期あり。性を介在しない二人の関係、の難しさ。

 

 少し逸れるけど…又吉さん曰く綾部さんとは「お互いが好きなものは似ているが二人の選択するアプローチが全然違う」らしい。

恋愛的瞬間 (2) (小学館文庫)

恋愛的瞬間 (2) (小学館文庫)

  • 作者:吉野 朔実
  • 発売日: 2002/01/18
  • メディア: 文庫
 

「恋愛はあらゆる抵抗に打ち勝つ相思相愛の力。友情は相思相愛でありながら抵抗によって達成できない疑似恋愛関係。」

「抵抗?」

「同性であるとか既婚者であるとか恋人がいるとか、顔は好みだが性格が気に入らない、性格はいいが肉体的に受けつけない等々、逆を言えば抵抗があるにもかかわらず気持ちのベクトルが向き合っている人間関係と言ってもいい。」

「友情は恋愛の一部ですか?」

「そうでないものを私は友情と呼ばない。」