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本やアイドルが主成分

『オウムからの帰還』高橋英利

「高橋さん、なぜあなたはサリンを撒かなかったのですか?なぜ、あなたにはそのような指示がこなかったのですか?彼は撒き、自分は撒かなかった…その違いはどこにあるのでしょう?」

 この問いほど、僕が脱会後、毎日毎日自分の中で問いかけつづけ、恐ろしい領域の思考として苦しみつづけてきたものはなかった。—290頁

 元信者であり、事件の実行犯ではなかったものの、実行犯幹部の運転手などをしていた著者の体験をまとめた本。

 

 在家信者が集う場所は綺麗で人々も穏やかだが、出家後に暮らすサティアンの住環境は悪く、ワークも非常に厳しい。それでも一般的な出家信者に対しては松本は穏やかだったものの、幹部など側近に対してはきつく当たる、そのきつさこそがより目をかけられていることの表れであり、ステージが高いことを意味する。著者のように教団にとって痛い疑問を投げかけてくるような信者は決して出世しない、その人選に関する選球眼は(こう言うと語弊があるけど)確かなのだなと思った。

 

 本書の内容がどこまで本当かは置いておいて、著者が働いていた科学技術省に下りてくる仕事の内容や、私には薬で幻覚幻聴を見ているだけに過ぎないように感じられるイニシエーションの内容など、何をとってもすごく幼稚に思えるのだけど、こういうのを読むと、実際にやっていることのクオリティの高さよりも、明確にビジョンが掲げられていること、そのビジョンがコミュニティに浸透していてみんなが信じていることが何より重要なのだなと思う。もっと言うとビジョンの確からしさも最重要内容ではないし、そのビジョンの達成に向けて実際に身体を動かすことが肝。身体をハードに動かすことから得られる充実感、達成感もさることながら、「ここまでキツイことをしたのだからこれは”真”である(そうでなくては困る)」という思い。これに近い感覚は例えばスポーツとかでも得られると思うと言うと乱暴かもしれないが、やっぱり身体性が伴うものは大きいなと思った。