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本やアイドルが主成分

『約束された場所で』村上春樹

「こんな世の中、いつまでもつづかないよ」と心の中で感じている人は多いと思いますよ。とくに若い人たち、子供たちはね。—81頁

 村上春樹が1998年に連載していたオウム真理教の(当時)信者、元信者へのインタビューと、河合隼雄との対談が収録されている、『約束された場所で underground2』を読んだ。

 インタビューされている信者、元信者は実行犯ではなくて、地下鉄サリン事件が起こった時もまさか自分が所属している教団が実行犯とは思いもしていなかった人たちだ。入信した理由は様々で、身体が不調だったり家庭が不和だったり生きる意味に思い悩んだりしていた人もいれば、特に世の中に対して大きな不満はなかったけれどもなんとなく入ってしまった人もいるけど、出家後、同じ教義を持つ者同士の生活は、ハードな修行や作業の辛さはあれど、現世で暮らしていた時よりは精神的にはよっぽど安定しているように思えた。教義という強力な共通言語をそこにいる全員が持っている状態を想像すると、その教義を疑わない限りは過ごしやすそうだなと思う。だけどここですごく印象的だったのは、彼らの出家後の話がなんだか妙に凪いでいて、一様にしてのぺーーーっとしており、あまりに奥行きが無いように読めたことだった。外の世界の複雑さが一切排除されていて、あまりにシンプルで、「善きことをする」ということに対する純度が高く、だからこそ一度入ると外の世界へなんて二度と出られないんじゃないかと、想像するだけでもそう感じる。これを現実世界からの逃避、心の弱さの表れ、と簡単に断罪してしまうような社会だと、そうした人につけこむ悪質団体が生まれるのだろうなと思うから、やっぱり社会的な受け皿は必要なのだと思った。

 

 ただ、今この本を読んでいる自分と、教団内での生活やその時に感じていたことなどを話す信者、元信者との間に、ものすごく分厚い防音の壁があるような、そんな風に感じずにはいられなかった。入信前のエピソードを読むと自分となんら変わりのない人たちのように思うし実際そうだと思うけど、特に出家後の話になると、上述したようになんだかものすごくのぺーーーっとしていて、自分の中にすっと入ってこない。どれだけ現実世界に思い悩もうと現実世界のあれこれを完全に捨てきることはそう簡単じゃないと思う一方で、出家した人は学校や仕事を辞めて家族とも離れ全財産を教団へ寄付し、何もかもを捨てている、つまり完全に一度「切れて」いるんだ、と感じてしまう自分と、やもすると「なぜみんないつまでも混沌とした現実世界でもがき苦しんでいるんだろう」「そんな現実世界にしがみついている人たちよりも、魂のステージが何段階も高い私たち」というような薄っすらとした上から目線、選民意識すら透けて見えることのある信者(インタビュイー全員ではないが、そう感じる人もいた)との間に壁を感じて、なんだか虚無感に襲われてしまう。

 

 また、信者、元信者たちが、地下鉄サリン事件などの様々な事件を起こしたことはもちろん悪いことであって許されないことではあるけれども、(途中で松本が殺人教義を口にし始めるようになる前の)教団の教義の方向性自体は悪いものではなかった、と言っていることも印象的だった。私には、多くの人を傷つけた教団が持っていた教義自体もまた悪であるのか、それともそうではないのか、今はまだよく分からない。だけど、人が何を信じるかを矯正することはできないし、その内容の善悪を絶対的に判断することもできないとは思う。ただ言えることは、何を信仰しても良いけれど、行動原理の主体は絶対に他に明け渡してはならない、ということなんだろうなと思った。信仰の内容が問題というよりは、信仰する人の主体性がどこに預けられているかが問題なのかな。でも、行動原理の主体が自分自身であり続ける限り必ず悪いことはしない、というと性善説っぽくて、それが絶対的に正しいとは言えないのではないかと思って、よく分からなくなる。ただ前に読んだ『「カルト」はすぐ隣に』(江川紹子)に出てきた実行犯が、「途中で感じた「これはおかしいのではないか…?」という自分にもギリギリ残っていたまっとうな価値観をもっと大事にすれば良かった。思考停止に陥ったのが良くなかった」(うろ覚えの意訳)と言っていた限りでは、やっぱり主体を他に預けたことが過ちであったと思える。

 

 最後に、この本は小説家である著者が書いたことに大きな意義があるなと思った。

ところがオウム真理教の教義をたどって解析していくと、それはあるいは絶対的な悪ではないかもしれないという筋道も出てきます。あくまで解釈の問題じゃないかと。その乖離みたいなのがあるんです。その乖離について追求していくことも、もちろん魅力的なアクセスではあるんだけれど、そっちから行っちゃうのはやはり危険なんじゃないかなという気がします。この事件を解いていくには、結局もっと地面に近いところに蝟集している「本能的なコモンセンス」みたいなのが大きな力を持って行くんじゃないかと思うんです。—276頁

まさにその乖離が気になって引っ張られそうになる自分に、本来持っている自分の生理的な感情や価値観を思い出させてくれるような作りになっていたので、とても良かった。

また、ファクト(事実として起こったこと)と真実(そのファクトを受けた人が実際に感じたこと)とを分けて、

それでどっちが真実かというと、あとのほうじゃないかと思うんです。本当は両方の真実を並列しなくちゃならないんでしょうが、どちらかひとつしか取れないとなったら、僕はあくまで断りつきでですが、ファクトよりは真実を取りたいですね。世界というのはそれぞれの目に映ったもののことではないかと。そういうものをたくさん集めて、総合していくことによって見えてくる事実もあるのではないかと。—282頁

と言っていたのも良かった。「真実」ベースだからこそ、インタビュイーたちが一人一人全く違う「人間」として読者である自分の目の前に座って話しているような気がした。

 

 何冊か関連本を買い集めて読み進めているのだけど、人間って難しすぎる…という袋小路に陥ってしまうな。村上春樹の『アンダーグラウンド』は、読んでいてもし自分が引っ張られそうになってしまった時に「本能的なコモンセンス」に立ち返るべく読むために、少しの間取っておこうと思う。