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本やアイドルが主成分

最近読んだ本 ノンフィクション編

 最近読んだ小説について書いていたら思いのほか長くなったので、フィクションとノンフィクションで分けた。

 今回はノンフィクション編。

言語学バーリ・トゥード』川添愛

 副題の「AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか」につられて読んだのだけど、まぁ~~~面白かった。言語学エッセイだから軽やかな文体で書かれているのだけど、川添さんはユーモアのある人なんだなぁ。本書に「Round1」と書かれているから、ぜひともRound2以降も出してほしい。

 話題は多岐に渡っていて、例えば「前提」の活用あるいは悪用について。例に挙げられているのは警察による取り調べにおいて、「〇月×日に、現場近くを車で通りましたね?」と聞くよりも、「あなたが現場近くを車で通ったのは、〇月×日ですね?」と聞いた方が容疑者にとって答えにくいということ。現場近くを通ったことがいつの間にか「前提」となっているから、後者に対して「いいえ」と答えてもそれだけでは「現場近くを車で通った」ことは否定しきれないからだ。日本語の順序を少し入れ替えるだけで効果がまるで違うのは、面白くもあり怖くもある。

 また、主語の一般化の危険性についての章も面白かった。確かに何でも主語を大きくして語るのは、マイノリティを強制的に排除しているようで危険であるということはよく分かるけれど、ある程度のカテゴライズは効率よく生きるための人間の知恵だと思う。またあまりに「一般化警察」するのも狭量というか、「※人によってその限りではない」ことは書かずとも言わずとも自明なのだからそう目くじら立てなくても…と思うこともある。要するに一般化の程度の問題と、一般化を持ち出す側の態度の問題と、受け取り手のリテラシーの問題で、この三つが全て上手くいった時の一般化は問題にならない…と書くと、今のSNSでは案外ハードルが高いかもな…と思った。

 

『欲望会議』千葉雅也・二村ヒトシ・柴田英里

欲望とは、積極性です。積極性とは、言い換えれば「肯定」です。欲望とは、肯定することです。肯定的生、肯定的性。それはしかし、逆説的に思えるかもしれませんが、何らかの「否定性」としぶとく付き合い続けることを含意しているのです。—「序」7頁

 ポルノ表現や芸術における倒錯的な表現などと、それにまつわるポリコレ的視点とを三人が語る鼎談本。

 これまで、フィクションにおけるポルノ表現や例えばラッキースケベ的な表現については、適切にゾーニングされていれば存在していても良いと思っていたし、見る側のリテラシー、つまりこれはあくまでフィクションでありそのまま現実に持ち込んで良いものでは当然にないということを理解する力こそが重要なのではないかと思っていた。ただ、行き過ぎたゾーニングはそこからはみ出た欲望を持つ者を弾き、結局はマジョリティー的価値観に収斂してしまうという危険性について指摘されていて、なるほど一理あるなと思った。朝井リョウ『正欲』を思い出したのだけど、そうしたゾーニングが、自分が理解できる範疇でのマイノリティにまでしか及ばない、ということはあるかもしれない。

 あらゆる表現について、それは不快であると表明すること自体は良いと思うし、表明できる世の中でないと窮屈だと思うのだけど、例えば「誰も傷つけない笑い」ばかりがやたらに持て囃される、みたいな状況が好ましいかというと、個人的にはちょっと違う気もする(そりゃ傷つけないに越したことはないし、傷つけて良いわけではないのは当たり前で、人道に悖るものは論外なのだけど)。極端に言うと世界78億人を相手に一人も傷つけない表現は不可能な中で、ひたすらに誰かを傷つけないことに主眼を置いた表現を志すのは、健全すぎるユートピアのような感じがする。時には自分が傷つくものを目にしてしまうことがあって、自分がなぜそれに傷つくのかを考える時間があっても悪くないのではないかと思う。とはいえやっぱり程度問題はあるし、TPOを考慮して、ということになるのだろうけど…。難しい。

 鼎談の話題が多岐に渡るので一口では言い切れないのだけど、性的描写に対して過度に規制がかかった先で鼎談者たちが危惧しているのは、村田沙耶香の『消滅世界』的な世界なのではないかと思った。あらゆる欲望をそぎ落とした先にある、生殖のためだけにあるセックスと、曖昧模糊とした発情すらも芽生えさせない清潔さに満ちた世界。それの良し悪しは別として、ただ何でもかんでもポリコレで窮屈だと表現者側が嘆くに終始していては何も生まれない、ということは上野千鶴子鈴木涼美『往復書簡 限界から始まる』を読んでも思うところなので、この問題は本当に正解がないなと思う。

多様性を"受け入れる"側の傲慢 『正欲』朝井リョウ - 読んだもの見たもの聴いたもの

"正常"であることとは何か 『消滅世界』村田沙耶香 - 読んだもの見たもの聴いたもの

『往復書簡 限界から始まる』上野千鶴子・鈴木涼美 - 読んだもの見たもの聴いたもの

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実米原万里

 1960年から5年間、著者が通っていた在プラハソビエト学校で出会った同級生三人に焦点を当てたエッセイ。たくさんの国から共産党幹部の子どもたちが集まる学校での楽しい出来事と、その後のプラハの春などの政変に巻き込まれていく子どもたちの生活の覚束なさとが両方とも描かれていて読みごたえがある。大人になってから著者がそれぞれの同級生に会うため現地を訪ね歩くところは、果たして本当に会えるのか、そもそも彼女たちは無事に生きているのか、というハラハラ感もある。

ただ、当時誰よりも共産主義の思想を掲げながら、その一方で豪華な家で豊かな暮らしをしているという矛盾を抱えつつその矛盾に気が付かないアーニャの、その父と、大人になった著者が対峙するシーンは、複雑な気持ちになった。その矛盾が許せない気持ちは分かるのだけど、アーニャの父が娘たちを死なさずに養っていくのに何振り構っていられない厳しさは、民主主義で紛争もなく国全体として豊かな地で暮らす日本人からは想像もできないほどのものなのではないか、とつい思ってしまった。

 

『生と死を分ける数学』キット・イェーツ

数学ができると思う人と数学はできないと思う人では、後者があまりに多すぎる。だからといって、数学をまったく理解できない人など、ほぼいないといってよい。数を勘定できない人はめったにいないのだから。ー240頁

 検査の陽性率や偽陽性偽陰性、刑事裁判におけるDNA鑑定や感染症の蔓延、SNSや統計調査など、生活におけるあらゆる場面で数学が関係している。与えられた結果としての数字が、本当のところは何を意味しているのかについて知ることで、真に正しい情報を自分にインプットすることができるという話。数々の具体例が載っているため、すごく面白かった。

例えば「最適停止」ルールの活用。複数ある選択肢の中から最も良い一つを選ぶためには、自然対数の底e(約2.718)を用いて1/e=約37%ルールに基づき、最初の37%を評価して捨てる。例えばホームの端に降り立ち、10両ある電車の最も空いた車両に乗りたければ、最初の3両は見るだけに留めてスルーし、それから順に車両を見ていく中で、それまで見た中で一番空いているように見える車両に乗り込めば、それが最も空いている車両である可能性が高い。複数の選択肢がある場合、最初の37%で全部の選択肢のパターンをある程度網羅できるということかと思うけど、面白い考え方だなと思った。

 

アメリカは中国に負ける 日本はどう生きるのか』孫崎享

 本当に負けるかどうかは置いておいて、アメリカが2009年と2011年に行った世論調査における「中国が超大国としてアメリカを抜くか」という問いに対する各国の結果は面白い。2009年の時点でフランスやイギリス、ドイツなどでは「追い抜く」が多数派、2011年になるとアメリカですら「追い抜く」と「追い抜けない」が拮抗しているが、日本だけが一貫して「追い抜けない」が多数派であるというデータが本書に載っている。

 中国が経済力や軍事力、科学技術力などをめきめきと上げていく中で、今後アメリカは日本をどのような位置づけに置いてくるかという話が本書の主題である。アメリカの対輸出先などから考えても、アメリカにとっての日本のプレゼンスは、戦後から続く昭和時代と、1990年代以降いわゆる「失われた30年」を経た今とでは、おそらく違うだろうなということは肌感覚としてある。そこで著者は、ASEANなどの事例も見習って、東アジア共同体を作ることを提唱している。こういう東アジア共同体とか西太平洋連合とかの構想について、まだよく分かっていないのだけど、アメリカや中国は嫌がるのかな~…と漠然と思ったりする。要勉強。

 

(2022年2月27日追記)

 ここまで下書きを書き溜めていて、いざ投稿しようとしているこの時、世界であまりに身も蓋もないことが起こってしまっている。最近読んだ上記の本の内容がぐっと真に迫って思い返される。ロシアの行動根拠は表面的には分かる(not理解できる)けれども、なぜそうした根拠に辿り着くかについては、過去の歴史やそもそもの国家観などを紐解かなければよく分からない気がしている。

そう思って休みの日に本屋さんへ行くと、社会フロアのプーチンの棚がスカスカになっていた。店頭取り置きの本棚にもロシア関連の本が結構な冊数ささっていて、この類の本がそこまで売れるのを見たことがなかったので驚いた。今回のことが関心を持つ、あるいは持たざるを得ないきっかけになっているのは間違いないけど、起こっていることのあまりの信じられなさを目の前にして、その不安を知識で埋めたいという気持ちもあるのかもな、と思いつつ、私もロシア関連の本を買って帰った。