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『ボラード病』吉村萬壱

だから私は、暴れたり大声を出したりしないでしょう?明日があるからです。今日は駄目でも、取り敢えず明日がある。勿論明日というのは、希望などではありません。今日じゃないというだけの、絶望的な見通しに過ぎません。—104頁

 文庫にして200ページもないのだけど、ずっと不穏で無気味で緊張感が漂っていて、読む者をじりじりと摩耗させる話だった(好き)。

 

 過去の災厄から復興しつつある海塚市という地域において、皆が強く結び合って海塚讃歌を歌い、清掃活動に励み、地元でとれる魚や野菜は「絶対に」美味しいのだけど、なぜが主人公が通う小学校の同級生は次々と死んでいく。

 

 行き過ぎた「絆」信仰や同調圧力による集団認知の歪み。そこから少しでもはみ出す者は「病気」として排除され、まるでいなかったように日常は続いていく。

 そうした異質な町に馴染めない気持ちにどことなく罪悪感を感じながら小学生の無垢な目線で淡々と見つめていた主人公が初めて町に馴染んだ瞬間が、清掃活動中に流れていた海塚讃歌のビートが急に身体に入ってきて踊るように歌うように小石(もうこの頃には清掃しきってしまって拾うゴミがなかったので皆で小石を拾っている)を拾って得も言われぬ充実感を得た時だったのを読んで、ここでも身体性を伴うもののパワーを感じた。踊念仏じゃないけど、何かを信じる時、何かを祈る時、何かにのめり込む時、人は物理的に、あるいは精神的に、踊るんだな。

 

 あとこの物語が怖かったのは、

自分の目で見て三角のものでも、周りの人間が一人残らずそれを丸だと主張すればそれは丸なのです。頭でそう理解するのではありません。実際に、丸に見えてくるのです。—178頁

ファクトがどうであれ、みんなが「そうである」と信じているものがその世界における真実であり、その真実を共有できない人は排除される排他的なコミュニティでありながら、

あなた方は、私みたいな病気の人間がいないと自分たちが正常だと確認出来ないからです。それに、本当の世界を見ている人間が残っていないとやっぱり不安なんじゃないかって、健くんも言っていました。あなた方は私を見ない。見ないけれども、私のような存在に頼っているんじゃないですか。—181頁

異質な人間の存在によって自分はその人と違って正常だと確認する目的において、そうした人はそのコミュニティにおける必要悪として存在しているということ。こんなグロテスクで目を覆いたくなるような、だけど現実を、吉村萬壱はさらっと突き付けてくるから怖い。

 

 吉村萬壱作品は『臣女』『回遊人』『CF』と『ボラード病』しか読んでいないけど、たぶんすごく好きな作家かもしれない。不条理で退廃的で皮肉がきいていて好き。生理に訴える描写も多くて人を選ぶ可能性はあるけど、そこも好きだな。