読んだもの見たもの聴いたもの

本やアイドルが主成分

「家族」という舞台装置 『靴ひも』ドメニコ・スタルノーネ

 もしも忘れているのなら、思い出させてあげましょう。私はあなたの妻です。わかっています。かつてのあなたはそのことに喜びを見出していたはずなのに、いまになってとつぜん煩わしくなったのですね。—5頁 

靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

 

  最高にヒリヒリする書き出しで始まる本書。夫、妻、兄、妹と猫一匹という一見どこにでもありそうな家族が、夫の浮気をきっかけに崩れていく。夫の浮気をなじる妻の手紙、年老いた夫の回想、両親の不和について話す大人になった兄妹の三部で構成されているが、視点が変われば見え方も微妙に変わり、家族のあり方の難しさを感じる。「家族」という言葉を窮屈に感じる人、「家族」というワードが強制的に醸し出してくる温かさに傷ついてしまう人におすすめの本かもしれない。

 

 離婚が認められていなかった1960年代のイタリアで結婚した二人。結婚する、すなわち生涯を共にするという認識で永遠の愛を誓い合ったはずの夫が、うんと年下の女にうつつを抜かし自分と二人の子ども残して家を出ていくなんて、妻のヴァンダの気持ちになれば当然辛いだろう。裏切られたという精神的な痛さだけでなく、専業主婦であり自分の収入がないという状況で二人の子どもをどう育てていくのか、経済的な打撃も大きすぎる。そのようなことを手紙で切々と、しかし皮肉をたっぷりと込めて出ていった夫アルドに訴え続けるヴァンダの精神がみるみるうちに消耗していく様は辛く、またなじられる側のアルドの気の重たさ(自業自得と言えるが)もすごい。*1

 

 しかしアルドの開き直りっぷりは何なんだ。

 その日の晩、私は慎重に言葉を選びながら、それが裏切りではないことを説明しようとした。君に対しては心の底から敬意を抱いている。真の裏切りというのは、己の欲求や必要性、自分の肉体、すなわち自分自身に背くことなのだと。—80頁  

家に帰ってきた自分を責め立ててヒステリックになるヴァイダに対しても、

 もちろん、しばらくすると落ち着きを取り戻す。いつだってまた冷静になるのだけれども、そのたびに、かつて私を魅了していた彼女のなにかが失われていくように思われた。妻はそんなふうじゃなかった。私のせいで妻が壊れていく。そのくせ、壊れていく妻自身が、彼女からさらに距離をおこうとしている私の行動を正当化するように思われた。—88頁

と、妻に執拗に責められるのも辛いがこれ幸いと妻、子どもとの家族生活から逃げる口実をその妻から見出す狡さ。終始「何言っちゃってんの???」状態で私だったら即別居、金輪際顔を合わさないが養育費だけは絶対に振り込めと命じて終わりにする気がするが、これができないのも分かる。

 

 この作品は、「家族」というものがその構成員が少なからずその中で何らかの役割を引き受け、担い、時に演じる舞台であるという窮屈さと、それを一生続けていかなくてはいけないという束縛を必ずしも受け入れなければならないのかという疑問とが絡まり合っているように感じたが、アルドがいわゆる「男性は外・女性は内」という固定概念を表には出さないが潜在的に持っていることにも、問題があるように思った。

 

 アルドがヴァイダに対して、「父親は続けたい。だから毎週末子どもに会いに来るよ。なんなら僕の方でもたまに預かろうか?」と、まとめるとこのようなことをのうのうと宣い、ヴァイダに激怒されるシーンがある。「預かる」って何?あんたの子どもでしょ?現代の日本でも「育児を手伝う」とかってドヤ顔で言う自称イクメンがいて「手伝う」って何??とブチギレそうになるが、1960年代から2020年代になっても、何も変わっていない。

 また浮気相手のリディアとの関係に暗雲が立ち込めだすきっかけもこうだ。

それはちょうど、リディアの仕事の用事や、彼女の周囲に集まりはじめた称讃、私が巻き込んだ複雑な状況を受け容れている彼女の寛大さといったものすべてに、私が不快感を募らせていた時期だった。—120頁

 家事や子育てといった家の中でのいっさいを当たり前に引き受けてくれる(そしてそのことを意識したこともないくらい当たり前だと思っていた)ヴァイダとの型にはまった生活の中で、「夫」であり「父親」であるという自分の役柄を引き受けることに飽き飽きしたアルドが、一緒に過ごしていると「自分が自分らしくいられる」からという理由で若く自由なリディアに惚れ込んでいくわけだが、それは徹底的に「生活」というものから逃げたいだけなのではないか。仮にリディアと再婚したって、どうせまた同じことが起きると思う。相手が問題なのではなく、「生活」ができないだけ。

 そしてそんな浮気相手もまた、自分より優秀で名声を得ていてはプライドが傷つき、「自分が自分らしく」いられないのだ。そんなことでしか保てない自分らしさは大したことがないと思うのだが、それが潜在意識レベルで染みついているのだから根深いし、これは2020年の今も残っているところには残っていると思う。

 

 しかし表面上は一段落を終えてヴァイダと元のさやに納まったアルド。そのあとの夫婦生活は一見穏やかな時であっても壮絶だ。ヴァイダは自分や子どもがいかに傷つけられたかを暗にアピールすることでアルドを脅し、服従させる。目の前から姿を消さず、傷ついた顔を見せ続けることが何よりの報復であって、きっと生涯をかけた復讐なのだ。そうして夫婦二人して消耗しつつ、決して別れず一緒に暮らし続けるアルドとヴァイダ。「赦す」ということの難しさを感じる。*2ヴァイダのやり方が健全だとは思えないけど、でもふとした時にこれでもかとなじりたくなる気持ち、夫が自分の罪を思い出し怯える顔が見たいというある種のサディスティックな気持ちに、少し共感してしまう部分もある。

 

 そしてこの本で何より感情移入してしまうのが第三部、四十代になった兄と妹が両親の不和について語り合うところ。正直円満とはお世辞にも言えない家庭で育ったため、余計に自分を重ねて読んでしまったのだと思う。両親の不和は、たとえ目の当たりにしなくとも、子どもにはダイレクトに伝わるものだ。親の言葉の端々、表情、空気感から伝わるものを、大人のようにかわしたりなかったことにしたりする術もなく、真正面から受け止めてしまう。自分の安定した生活を守るべく、両親の声色や表情、動作を窺うことで機嫌の良し悪しを計り、決して自分が捌け口とならないよう、そして親の機嫌が少しでも良くなるよう慎重に振る舞うその所作が習い癖になるのも、すごく分かる。そしてそのことを、妹アンナのように一生忘れないことも。

私が親から学んだことは一つだけ。子どもなんて絶対に産むべきではないということ。それから平静を装い、喉で声を押しつぶすようにして続ける。どうせ子どもを苦しめることしかできなくて、それが倍になって返ってくるだけなんだから。—176頁

 子ども時代のトラウマと上手くいっている夫婦というサンプルを見たことがないというコンプレックスから、アンナが解き放たれる日は来るのか。この本のラストはその入り口であるという風に思う。それはかなりイチかバチかの大勝負ではあるが、破壊して真っ新になったところから、もしかしたら再生できるかもしれない、という希望がある。

 

連想した本

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

 

  夫の不貞を責め続けて精神に異常をきたしていく妻と、そんな妻に謝り続ける夫という、壮絶な夫婦生活。長年積んだまま未読。これを読むのには相当体力が要りそうで怖い、けど読みたい。

 

popeyed.hatenablog.com

 夫婦における、静かな「復讐」の話。

 

  自分が見つめている「家族」というものを違う視点で見た、というか見えてしまった時に、その形が思っているものと全然違っているかもしれない話。

 

臣女 (徳間文庫)

臣女 (徳間文庫)

 

 夫の浮気が発覚してから、異形化、巨大化が止まらない妻と、そんな妻を介護し続ける夫の話。

 

 不倫を擁護するわけでもなく、ただちょっと青臭いことを言っているかもしれないけど、 結婚した後に配偶者以外の人のことを絶対に好きにならない、その人と一緒になりたいと絶対に思わない、ということは難しいのではないか。目の前にある「生活」を前にしてそんなことを言っている場合ではないのかもしれないが、不倫はなぜ悪なのか、ということも考えた。

夏の終り (新潮文庫)

夏の終り (新潮文庫)

 

 女の業。

 

主婦と恋愛 (小学館文庫)

主婦と恋愛 (小学館文庫)

  • 作者:藤野 千夜
  • 発売日: 2009/05/08
  • メディア: 文庫
 

 「主婦"の"恋愛」ではなく、「主婦"と"恋愛」なのがとても良かった。

*1:島尾敏雄の『死の棘』を彷彿とさせた。

*2:東京都で起きた、36年前にした不倫の話をもう時効だと思った夫からその思い出話を聞かされた妻が、それを許せず介護中のその夫を殴殺した事件を思い出した。