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強烈なブラックユーモア 『その他もろもろ—ある予言譚—』ローズ・マコーリー

なぜなら、戦争は知恵を育まないからだ。それどころか、教養豊かで明晰な頭脳をひっかきまわし、廃墟にする。瓦礫はただの瓦礫でしかなく、思考の道は閉ざされて、人びとは疲れきり、老化する。あるいは暴力で鈍りきり、何ひとつ築けない。—10頁 

その他もろもろ: ある予言譚

その他もろもろ: ある予言譚

 

  舞台は第一次世界大戦後のイギリス。国民を知力でランク分けする政策のもと、子どもに引き継ぐ知能の観点からその国民の結婚を推奨すべきか否か確認し、規則によりその結果に対して賞罰を与える脳務省に勤めるキティは、秘密裡に脳務大臣のニコラスと交際しているが—という話。

 

 こういう「脳務省」みたいな、独特の単語を使われることに弱い中二病なので、帯文を見てすぐに買ってしまった。いかにもディストピア感溢れる小説がどうしても好きだ、もういい大人なのに…。

 

 そもそもこんな悪法がなぜ成立したかというと、起点は人間の知性の低さ、愚かさが人間を戦争に向かわせるからであり、もう二度と戦争をしないために作られた法律である。私は歴史の本などを少し読んだりしていると人々を戦争に向かわせるのは知性の無さというよりも、その時その場を支配する圧倒的な"空気"なのかなと思ったりするが、その空気に飲まれないためには高次の知性が必要、ということには同意できる気がした。

 だから起点は悪くないし、あくまで戦争を終えて傷ついた国民たちを希望へ立ち返らせるための善意(とまで言えるかは微妙だが)から生まれているとはいえ、それによって人間の生殖を国が管理、規制するというのはやはり歪である。人間の価値を知力のみで判断するその偏った思想と、知力の高い者同士で子を生んだ家庭には賞賜金が与えられ、反対に低い者同士で子を生んだ家庭には罰金を科すこの制度は、あまりに優生思想的である。

 

 しかしこんな悪法をどうやって国会で可決させたか、そしてどのようにして国民へ周知させたか、この手法やコツがまさに今世の中で起こっていることそのものと言えるのでは…?と思うほどリアリティがあって面白い。

 一般に、法律文は難解で、解説が必要になることが多い。脳務省も、最近可決された知的能力促進法と、議案となっている知力育成法についての解説を余儀なくされた。庶民がすぐに理解できる文章ではないからだが、ひと口に解説といっても、手抜かりがなく慎重にやらなくてはならない。法律文は徹底して理解されることを求めていないので、解説に必要なのは、言葉巧みに言い逃れる技術だ—91頁

 過去の歴史でも法律における解釈の抜け道を巧みに用意することで正当化された諸々があったと思うが、まさにそれが”言葉巧みに言い逃れる技術”ではなかったか。

 

 また大衆を従わせるのは理屈よりも情なのだなと思わせるところもあった。

いうまでもないが、相手を見てアプローチを変えるんだよ。想像力がある者もいれば、ない者もいる。ない者には、常識で理解できるように語り、常識すら欠如していれば、わが子への愛情に訴える。最低限の常識がある者には、愚昧の行く末に恐怖心を抱かせるといいだろう。—93頁

 これは知能関連法を推進するキャンペーンのためにキティが民衆の前でスピーチをする時に受けたアドバイスである。知能向上を喧伝する政府が誰よりも国民の知能を信用しておらず、ナメきっているところが何とも皮肉だが、情に訴えかけることが理論の整合性や数学的な将来予測などよりもよっぽど効果的だった場面を、これまでにも何回も見たことのあるような気がする。

 

 その他にも知能関連法を推進すべく政府が映画や演劇、出版物など大衆芸能にすり寄っていく様など、見たことある…!という場面が目白押しで、ゾッとすると同時にそのあまりの露骨さに笑えてくる。

 

 ただ、この本の面白いところは、政府側が圧倒的な悪ではないところだ。そうした政府に対峙する国民側にも顧みるべき点があるのでは?ということも示唆されていて唸ってしまう。

国民は政府機関を最悪の目で見がちであり、彼らの善意に対しては情けも想像力もなく、過失がないか目を光らせ、成果はなかなか認めずに、甘い言葉の意味を見極めないまま、失敗すればたちまち非難する。—194頁 

 正しく情勢を見極めるにはどうすればいいんだろう、とここまで読んで考えた時に、一時の情や空気感に流されず冷静に物事を見つめる批評力なのかなと思ったりするが、ではその批評力はどうしたら身に付くんだろう。それこそ想像力なのか?ではその想像力はどうしたら…?そういえば義務教育の意義とは…?などとぐるぐる考えて結論は出なかった。

 

 この本が書かれたのは1918年、約100年前。100年前の世界から現代へこんなにも鮮明なまま強烈な皮肉が通じる現状とはいったい…と思わずにはいられないが、そのくらいブラックユーモアが冴え渡っていて面白かった。カオスな政局の中キティとニコラスがどのようにして愛を成就させるのか、そのドタバタっぷりも楽しめる。新年一発目の文学作品だったが、新年早々に当たりで嬉しかった。

 

連想した本、今後読みたい本

  積んでいる本。去年優生学に興味を持って買っていたのだけど、『その他もろもろ』でもまさに優生思想的な法律が出てきたのでそろそろ読みたい。

 

宰相A(新潮文庫)

宰相A(新潮文庫)

 

  これは読んだ本。第二次世界大戦後にアメリカ人が新たな「日本国」を生み、旧日本人は居留地での制限された生活を強いられる世界。

 

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

 

  これも読んだ本。悪法ディストピアといえば、で思い出す。『その他もろもろ』は(表向きは)平和のため知力を向上させるべく国民の自由を束縛したが、『華氏451度』は本を焼き払い国民から思考力を奪うことで支配しやすい世界を作った。方向性は違うがどちらも歪な支配の話。