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選ぶ、そして選ばない自由 『女の子は本当にピンクが好きなのか』堀越英美

 

女の子は本当にピンクが好きなのか (河出文庫)

女の子は本当にピンクが好きなのか (河出文庫)

  • 作者:堀越英美
  • 発売日: 2019/10/05
  • メディア: 文庫
 

  すごく面白くて、間を置くことなく一気に読み切ってしまった。ピンク=女子の色として定着するまでの歴史、アメリカにおけるアンチピンク運動やファッションドールがジェンダーニュートラルを獲得しようと改良されていること、かたや日本ではそうした「女らしさ」から逃れ切れていない現状や、ピンクが好きな男子への抑圧など、幅広く取り上げられている。

 

 まず、ピンク=女子の色として定着したこれまでの歴史が面白かった。18世紀フランスのロココ様式によりベルサイユ宮殿などで用いられた高貴さを表す色としてのピンクから始まり、この時点ではそうしたピンクはともかく、フリル、レースなどといった煌びやかな衣装は男女共通であったが、19世紀後半になり装飾過多な衣装は発展途上国の民族や劣等人種を想起させるという理由で、男性の衣装は簡素になった。この時点でもうすでに、人種差別と男女差別がはっきりと生まれているのだなと興味深かった。

 そこから第二次世界大戦を経て、アメリカではピンクが厭戦カラーとして持て囃されるようになる。 喪の黒、軍需工場で働く時に穿いていたジーンズの青ではなく、そこは「ピンク」である必要があった。戦争で傷を負った男性たちを、良妻賢母を表すピンクで、時にはセックスアピールを表すピンクで、どちらの意味でも男性を慰撫する色ピンクを纏う女性が必要とされた時代。

 ただしその反動で1960年代後半からはウーマンリブが起こり、そこからジェンダーニュートラルの考え方が芽吹きだす。終戦からここまで約20年、この速さはアメリカが戦勝国であり経済復興のスピードが速いからという理由もあるのかなと思ったが、日本でも1960年代後半くらいからウーマンリブ運動は始まっていたようだった。

 

 その一方で日本では、戦後はまだピンク=エロ、お色気のイメージが強く、その色はすぐさま女子に定着することはなかったようだ。この時点でピンクは客体としてのピンクであり、そこに主体性を見出すことはできない。そもそもピンク=エロの歴史はどこからなんだろう?と思ってまだ調べてないが、本書に出てくるように18世紀フランスのロココ美術ではもうすでにピンクを身に付けている女子=エロいの構図が存在していたようだ。ピンク=女子、ピンク=エロの二つの等式は男性優位社会において女性が客体としてしか見なされない限り同時発生なのかなと思う。

 そこから戦隊モノにおけるモモレンジャー魔法の天使クリィミーマミピンクレディーのヒットによりピンクを身に付ける女子が増えるが、80年代にはピンク=ぶりっこ、自己愛が強いというイメージも強くなり一部では絶対にピンクを身に付けない、身に付けられないという女子も増えたという、この流れはいかにも日本っぽいなと思った。日本は「恥の文化」とよく言われるが、自分の美徳を表に出さない、自分をよく見せようとせず謙遜する、自己評価が低いということの表れの一つでもあるのかなと思う。イギリスのユニリーバで2017年に行われた調査で、日本の10代女子で自分の容姿に自信がない割合は93%と、世界平均54%と比べて圧倒的に高いという話を聞いたことがあるが、そういう土壌において「ピンクなんて自分で自分を可愛いと思ってなきゃ身に付けられないでしょ。」的な感覚を持ってしまうことは、よく分かるなと思った。そしてそういう風にして「自分は勘違いしてませんよ。分をわきまえられる女ですよ。」と言外にアピールする感じも、正直分かる。「可愛い女」か「さして可愛くはなくとも、思慮深い女」、どちらかでなければ生きづらい、という実感覚があるからだと思う。これも根深い問題で、結局客体であることから逃れられないのだなと感じる。

(↓ソースを調べたらこれだった。)

www.unilever.co.jp

 しかしそこから90年代に入りモーニング娘。やSPEEDのように主体的に努力する姿を見せるアイドルがヒットし、可愛さを自覚していることや可愛く見せたいという願望をむやみやたらに隠さなくて良いというムーブも一部に生まれ、昔よりは主体的にピンクを選び取れるようになった、ということらしい。

 それに関してここ最近で思うのは、そうして自分の可愛さを自覚していることや可愛く見せたいと願い努力すること、そのように振る舞うことが積極的に支持され始めているかもしれないなぁということだ。一昔前、私の大好きなアイドルは自らを「可愛い」と公言し「女が嫌いな女ランキング」という存在意義のよく分からないものにランクインしていたことがあったが、今は「あざとくて何が悪いの?」という番組があるように、可愛くあろうとすることは決して悪いことではなく、そのように振る舞うこともコミュニケーションの一部であるという認識が出来上がりつつあるのかなと思っている。そしてそのようにして「あざとく」振る舞うのは女性だけでなく、当然に男性であっても良いわけであり、あざとい側の人間として男性ゲストが出演するのも今っぽいなと思っている(毎週見ているわけではないけど…)。

 

 ただ女子=ピンク、というステレオタイプは未だになくならない。それだけでなく、例えば女子は理系科目が苦手、女子は事務職、はたまた女子は強味の一つではあるが競争意識が強いので、会議ではこぞって発言をするため時間がかかる、などといったステレオタイプが根強く残る。そうしたステレオタイプに対してアメリカの意識は高いようで、STEM玩具のヒットやあらゆる職業の服を着たバービー人形、健康体形をした人形や小柄、長身、様々な肌の色をした人形が発売される等、ステレオタイプが子ども時分に根付かないための配慮をしようという意識が強いようだ。

 ただし日本ではそれに比べるとおそらく進みが遅いだろうと思う。そうしたステレオタイプ脱却を志すは良いが、それでは「ウケない」からである。母子密着育児のパターンが多く、急に「男社会」へ放り出された男子が同世代女子に母性を求め、そうした男性から「選ばれ」るべく母性を持つことを志す女子、という構図が色濃く残っているという著者の指摘には納得感があった。本屋さんでもこの手の本(男性に「愛される」「選ばれる」系のタイトル)がたくさんある。ここから脱却するには女子の生きづらさだけでなく、男子の生きづらさ、ホモソーシャルの強さなどにも焦点を当てなければならないのだろうなと思う。

 

 自分を振り返ってみると、小さい頃から家にお人形やぬいぐるみ、ゲームがなかった代わりに親が借りてきた図書館の本や図鑑を読み、チラシの裏に計算式などを書いたお手製ドリルが与えられ、小学校にあがった頃からは母に「結婚なんてしなくてもいいから、自分一人で生活できるようになりなさい。」と言われ続けていた。直接的に勉強しなさいと言われたことは一度もなかったけど、夫婦仲が悪く別れたくても生活のことを考えると別れられない母から「自分が自由の身であるためには学が武器の一つになる」というメッセージを子どもながらに受け取ったため、それを真に受けて勉強をしていたように思う。そうして結果的に今、たまたまではあるけれど圧倒的に男性が多い職場で男性と同じ立場で働くようになった。母の言いつけ(呪詛とも言う)通りになったのかもしれない。

 

 ただ最近自戒をこめて思うのは、女子が例えばピンクを、事務職を、専業主婦を「選ばない」自由もあるが、当然に「選ぶ」自由もあるということを忘れてはいけないということである。社会進出しようとする女性、男性と肩を並べて同等に働く女性の意思が尊重される流れはあると思うし今後加速するとは思うのだけど(とはいえ女子受験者を一律減点にする大学があったりもしたが)、もしかしたら今後、例えば「私は好きな人のお嫁さんになって家事を職務としてパートナーの仕事を支えたい」と心から願う女性がいたとして、その人が「前時代的、志が低い」などと陰口を叩かれる時代が来るのではないかと危惧している。

 それに関しては、自分が通っていた大学で、ある教授が「あなたたち国立大生の学業は一部税金によって支えられているので、専業主婦になりたいなどと思うのは税金の無駄。」と言っていたことも未だに覚えている。確かに税金で賄われている部分があることは承知しているし税金の使い道は国に、国民に資するものであるべきなのかもしれないことは分かるが、では専業主婦は社会に一切の還元をしない存在なのか?そもそも「資する」とは何を基準に誰が判断するのか?と言われた学生当時にそう思ったのだが、それについて今もぐるぐると考える時がある。

 

 どの立場の人にとっても複数の選択肢があるはずなのに、置かれている環境によって実質的な選択肢は一つしかない、みたいな状況は男女問わずある。この状況にはいろいろな問題が複雑に絡まり合っていて簡単な話ではないのだけど、おしなべて言えるのは「全てにおいて個人差があり、選ぶ自由があるので、他人がとやかく言うことではない」という当たり前のことなのではないかと思った。

 「ピンク」から始まり、あらゆるテーマに派生して考えさせられる本書は面白い本だった。

 

連想した本

クズハがOLをしていたときと、社会はだいぶ変化した。今では、男でさえ正社員になるのが難しいらしい。悪い意味で、平等になった。女が上がらず、男が下がってきた。かつては女にしか見えなかったはずの天井が、この青年にも見えていることがクズハには分かった。ねえ、驚いている?話と違うって思った?でもねえ、女たちは小さな頃からずっと、その天井が見えてたの。見えなかったことなんて一度もないの。でも、皆それでも生きてきたし、なんとかなるわよ。—「クズハの一生」135頁

 この「天井」という概念を持たずに子どもに大きくなってほしいという願いが、STEM玩具や色んな職業の服を着たバービー人形に込められているんだなと思った。

 

可愛い世の中 (講談社文庫)

可愛い世の中 (講談社文庫)

 

 保守とかフェミとかではなく、多様性を尊重する姿勢の主人公。 

 

憧れの女の子 (双葉文庫)

憧れの女の子 (双葉文庫)

 

 「ある男女を取り巻く風景」を読んでほしい。