読んだもの見たもの聴いたもの

本やアイドルが主成分

自分を担保するもの 『空芯手帳』八木詠美

倦むことにも飽きた残暑の中で、フローリングのどこか親しげな冷たさに甘んじるこの余裕。顔を上げれば部屋の奥にまだ西日が射しているこの安楽。

妊娠というのは本当に贅沢、本当に孤独。—4頁 

空芯手帳

空芯手帳

 

 ある日、 応接室に出したコーヒーの片付けを課長からいつものようにさせられそうになった瞬間に、何かが静かに千切れた。その瞬間から、主人公は妊娠5週目になった。

 

 2020年の太宰治賞受賞作。帯文を選考委員である津村記久子さんが書いていて、私は津村さんのことを信じているので迷わず買ってしまったのだが、好きな小説だった。上司から雑事を押し付けられた主人公がブチギレて偽装妊娠をでっちあげ、その後妊婦として生活する、という話。タイトルの「空芯」は主人公が務める紙管専門メーカーの工場で作られる紙管のことであり、胎児のいない子宮の中のことでもある。

 

  会社にも家庭にも、成果にはならないし、それをしたところで評価もされないけど、いつかは必ず誰かがやらなければならない仕事がたくさんある。自分の会社を思い返しても、お茶出し、その片付け、切れたコピー用紙の補充、文房具等備品の注文、パンフレットの差し替え…挙げ出したらキリがないくらいの雑事がある。それらの仕事の一つ一つは大仰なことではないかもしれないが、いざ取り掛かると微妙に時間がかかり、絶妙に面倒な作業だ。だがいつまでたっても誰もしないままでは、確実に職場は回らなくなる。そんな目に見えにくい仕事だからこそ、中には本作の課長のようによもやその仕事を自分が担うとはこれっぽっちも考えていない人もいるし、その仕事を普段誰が担ってくれているのかを考えたことすらない人もいるだろう。そういった無関心と他人事感が、それを担ってくれる人を苛立たせ、傷つける。

 

 主人公がブチギレたきっかけはそうした雑事を頼まれたことだったが、別にそのことだけが原因なのではなくて、そうしたことの積み重ねにより自分が透けていく感覚というか、そうした絶望感が、今までギリギリこぼれていなかっただけでいっぱいいっぱいまで満ちていたコップから溢れ出ただけなのだと思う。主人公がコーヒーの片付けを頼まれているのは主人公が職場で抜きん出て掃除が得意だからとか「使う前より美しく」を地でいく人だからとかそんな理由があるわけではなく、ただ女だから、それだけである。その理不尽さと代替可能性に少しずつ気力を奪われていく。

 

 そうした環境から自分を守るために主人公がとっさにとった行動が偽装妊娠だったが、妊娠したことによっていつもは遅くまで残業していた主人公が時短で帰れるようになった際の描写が印象的だった。これまでは自分に縁のなかった活気に溢れたスーパー、まだ乾いていない新鮮なお刺身、下校途中に買い食いをする高校生、夕日の射した自分の部屋。それらの光景のなんと眩しいことか。仕事終わり、夜遅くに行くスーパーにはお惣菜の多くが売り切れ、お刺身など生ものは残っていないし、かといってこの時間から自炊をするのも億劫でインスタント食品や冷凍食品を食べる生活。日の明るいうちに自宅へ帰ることなんてないから日当たり度外視で、仕事終わりに疲れた足で歩きたくないからとにかく駅近重視で選んだ、ただ寝るだけの家。私もそうした毎日が当たり前になっているので、自分の身体を労わることを忘れるというか、もうその余裕がないのである。

 

 妊娠して子を宿すことは、会社とは違い、必ず、他の誰でもなく"自分"を必要とする人が自分のそばで生きることで、そのためなら自分を労われるという感覚は分かる気がした。労わり甲斐のある自分、というと卑屈すぎるかもしれないが、自分を労わる意義がそこに生まれた感覚。もっと言うと自分が存在することの意義が満々に感じられる、というか感じざるを得ない状況で、お腹の中の子が主人公にとって"自分"を担保する存在になったのだと思った。

 

もしかしたら誰かと家族になるとは、互いの存在を担保して忘れ合わないような環境を作ることなのかもしれない、そんなことを意識すらしないうちに。—123頁

 この感覚もよく分かる。私は特に地震がきたりして気弱になった時に思うのだけど、誰が一番に自分を心配してくれるのか?と。いくら仕事を頑張っても、いくら男の人と出かけたり女友達と遊んだりしても、何かあった時に一番に私を思い出してくれるわけではない。強いて言うなら親がいるが、その親も普通にいけば私より先にこの世からいなくなる。そうしたらその後は誰が?もっというと、やたらに頑張らなくても自分がただそこにいるだけで良しとしてくれる人、その人の世界の中に自分が存在することが不自然でなく当たり前に溶け込ませてくれる人、そうあることを自然としてくれる人、そうした人がいてほしいという強い願望を持つ瞬間がたまにあって、それを叶える一つが誰かと家族になることなのではないかと夢を見る。

 

 ただ必ずしも家族がそうした存在になり得るかというとそうでもない、ということは本作に登場する細野さんを見るとよく分かる。自分を担保するものは家族、子ども、友人、恋人、仕事、趣味、何でも良いが人によって違う。以前に読んだ二村ヒトシさんの『すべてはモテるためである』に自分に自信を持つ方法は自分で自分が何を好きかがはっきりと分かるようになること、それをしていれば自分が一人でもいられるという居場所を持っている状態でいることだと書いてあったが、最終的に自分を担保するものは自分一人の内から見出しておいた方が良いのではないかとも思う。そういう意味では本作の主人公も偽装妊娠した子を担保としているのではなく、自分によって生み出した一つの「嘘」が自分を担保しているに過ぎないのだと思う。人はどこまでいっても一人なんだなぁと思うが、それは自分だけでなく、全員がそうなんだなぁと思った。

 

連想した本

 人は自覚的にも無意識的にも嘘をつくが、それによって救われることもある話。それで生きる活力が湧くなら、必ずしも事実じゃなくたっていい。 

 

スタッキング可能 (河出文庫)

スタッキング可能 (河出文庫)

  • 作者:松田 青子
  • 発売日: 2016/08/05
  • メディア: 文庫
 

 スタッキング可能な人生で、誰かにとってはスタッキング不可能でありたいと願う人。 

 

カソウスキの行方 (講談社文庫)

カソウスキの行方 (講談社文庫)

 

 嘘とまではいわないが、誰かを好きであると仮想してみることで今いる場所から一歩抜け出そうとする話。