読んだもの見たもの聴いたもの

本やアイドルが主成分

『嫉妬/事件』アニー・エルノー

「ついさっき、ちょうどきみのことを考えていたんだ!」私は喜ぶどころか、テレパシーを信じるどころか、そんな言葉に打ちひしがれた。理解したのはただ一つ、その「ついさっき」以外の残りの時間はずっと、自分は彼に忘れられているのだということだった。—『嫉妬』53頁

 別れた年下の男が他の女と暮らすと知り、どこに住み何の仕事をしている誰なのか、気になって気になってあらゆる手段を使ってでも特定しようとして、どんどん狂っていく自分を、冷徹に描いた超メタ認知小説『嫉妬』が面白かった。

 内的精神の移ろいを細かく冷静に、一切の自己陶酔なく、まるで第三者を見ているかのように客観的に語る、そんなメタ認知が冴え渡る話が自分は結構好きかもしれない。読んでいる間ずっとラディゲの『肉体の悪魔』を思い出していたのだけど、両方とも、こんなにも恋心に狂っているのに、そんな自分を淡々と描写するその語り口に痺れてしまう。

私は言葉でもって、欠けていたものを、ある女性のイメージと名前を、埋め合わせることに成功した。彼女はといえば、六ヵ月間、日々お化粧をしたり、講義の準備にいそしんだり、話し込んだり、快楽を味わったりしていて、自分が他の場所でも、つまり別の女の頭と体の中でも生きているなどとは思いもよらずにいたことだろう。—『嫉妬』82頁

 妄執的な片想いというと武者小路実篤『お目出たき人』とかもそうで、あれもすごく面白いけど、文章の湿度が全然違う。

 

 もう一編収録されている『事件』は読むのもしんどい話だけど、こちらも自分の内的心理を淡々と冷静に語る一人称小説という面では『嫉妬』と同じ。中絶が違法だったフランスで妊娠してしまった女子大学生が中絶しようと、闇で行われている危険な堕胎方法に頼るしかない実態が描かれている。

 1975年まで中絶が非合法だったようだけど、それに加えて1967年にようやく避妊薬の使用が合法化される、逆にいうとそれまで避妊の推奨すら非合法だったということが、今の自分の感覚からはかなり距離があるので驚いた。宗教的背景などによって生殖を伴わないセックスは認められないという価値観を持っている人がいること自体は否定しないけど、望まない妊娠によって身体的、精神的、経済的ダメージを一手に背負っている『事件』の彼女を見ていると、憤懣やるかたない気持ちになる。

 彼女を妊娠させても全く支えようともしない男、確実に処女じゃないことが判明しているからこそ軽率に手を出そうとしてくる男友達、罪に問われかねないから決して中絶手術を施そうとはしないけれども彼女がどんな修羅場をくぐるのかについては興味津々な医師たちの、グロテスクな無邪気さ、無責任さに対して、決して悲劇のヒロインぶらず何とか乗り越えようと孤軍奮闘する彼女の痛ましさに、読んでいて一緒に辛くなった。