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数珠繋ぎ読書~「考える」こと~

 本屋さんで本を選ぶ時、今気になっていることに関する本や、先日読んだ本から連想される本を選ぶことが多い。ただ飽き性なので一つのテーマについての本をぶっ続けで読めない、間に全然違うものを挟みたがる性分のため、そのテーマに対して集中しきれないのが私の難点だけど…。

 そうして選んだ本からまた連想される本へ、あるいは解説や帯を書いている人の本へ移っていくのだけど、今回はここ最近の数珠繋ぎをメモしておくことにした。

 

 ある日本屋さんへ行った時にすぐに目に飛び込んできたタイトル『わかりやすさの罪』から始める。この本は「わかりやすい」ことがとにかく求められる現代に疑問を投げかけていて、「わかりやすさから逃れよう」と現代のムーブに逆らうような訴えかけをしている。…と、分かったように感想を書かれるのを著者は嫌がるかもしれない、そんな本。とても好きだった。

わかりやすさの罪

わかりやすさの罪

  • 作者:武田 砂鉄
  • 発売日: 2020/07/07
  • メディア: 単行本
 

  ここ数年思い続けていることがあって、それはこの世はわりと共感至上主義なんだなということだ。フィクション/ノンフィクションを問わず、キャッチ―なフレーズ、はっきりとした起承転結、納得できるオチ、感情移入できる登場人物、これらが「ウケる」ためには必須なのかもしれない。確かに腑に落ちる感覚は気持ちが良いのだけど、でもこの世には泣けないし胸がキュンとしないし明確な答えはないし登場人物に感情移入できない、のに面白いものもたくさんあるという実感があって、でもそれがいわゆる「売れ線」かというとそうでもない気がする。

 

 私は「泣ける」「どんでん返し」「全女子必読」「○分で分かる」などと言われるとその時点でネタバレされた気になり、「そうなんですね!了解です!」と心の中で呟いて読まないことが多いのだけど、それは天邪鬼で難儀な性格なのだろうな。忙しい現代人が勉学や仕事、その他のやらなくてはいけないことをこなす生活の中で、溢れかえる情報の中から取捨選択する時に、わざわざ分かりにくいものを受け取ってああでもないこうでもないと考え、しかも明確な正解はないという結末、この一連を選んでいる時間はないのかもしれない。でも私はその"無駄"が好きなんだけどな。

 

 この本の話をある人とした時に、その人が「この先は、"分かりにくいことを分かりやすく要約して伝えることのできる知見のある人"と、"分かりやすくされたものだけを受け取ってそれで全てを分かった気になりそれ以上は思考しない人"に、二分化するのかもしれないね。」となかなかに辛辣なことを言っていた。確かに最短コースでお金を生むビジネスチャンスはそこにあるのかもね、という話をした。

 

 こうして「いいね!」が大事な世界で、上みたいなことを話しているって偏屈で素直さに欠けるな…とうっすらとした自己嫌悪もあって、次に読んだのが『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

  この本はいわゆる「いいね!」という共感を集団的ノリとし、それにノれない、ノらないことから勉強をするということが始まる、という点から出発する。本書で例に挙げられている通り、例えば芸能人の不倫問題で世間が騒いでいるのを受けて「ヒドイ!」と思うに留まらず、そもそもなぜ不倫は悪なのか?自分がされたわけでもない不倫でなぜ世間の人はこうも当事者を叩くのか?なぜ、なぜ…とぐるぐる考えてあまつさえ何かヒントが得られそうな本を読んだりしてしまう自分の自己弁護のためにこの本を読んでいるようで、それもまた私の気持ち悪いところなのだけど、そういう風にして勉強する人間は集団的ノリの中で浮いている、キモイ、と本書でも書かれていて笑うしかない。しかしそうしてキモくなることを通して勉強を繋げていくことで、自分の知りたいと思うことの核やこだわりが見えてくる、という筋だと思ったのだけど、この本は「わかりやすい」本ではないので、自分の読みに全く自信がない。

 

 この本の話もさっきと同じ人としたのだけど、確かに自分たちはキモイね、でもまだキモイ止まりでその先へは進めていないね、という話になった。

 

 次に読んだのは、『勉強の哲学』の著者・千葉雅也さんが解説を書いている『哲学の先生と人生の話をしよう』。一般の人たちから寄せられる相談に対する哲学者國分先生の返しのキレ味が良すぎて唸り、そして時々耳が痛くなる本。

哲学の先生と人生の話をしよう (朝日文庫)

哲学の先生と人生の話をしよう (朝日文庫)

 

  一番耳が痛かったのはここ。

「プライドが高い」人で一番ブザマなのは、時たま、他人を見下す自分の気持ちに対して罪悪感を抱くことなんです。自信の欠如ゆえに他人を見下し、それによって自分のプライドを維持しているというこの構造そのものが問題なのに、そこには思い至らない(というか、思い至りたくない。思い至ったら自信のなさに直面することになるから)。だけど、やっぱり、ずっと他人を見下し続けるという状態に精神は耐えられないから、その代償として罪悪感を得る。—145頁

 何かにつけて「自分はなぜこうなのか、それは自分が心底ではこう思っているからなのではないか、それって実は自分大好きでナルシシズムが強いのではないか、そんな自分って最悪なのではないか」みたいなことをぐるぐる考える癖があって、でもそれは「そういう風に罪悪感を得られる自分は繊細だ」というある種の陶酔に帰結しているのか?だとしたら本当にイタいじゃん…と思った。でもこれが読書の良い所だなと思っていて、だって「あなたブザマだよ」って直接忠告してくれる人ってたぶんいないし、こうして自分の内部をぐっちゃぐちゃに解剖して自分の恥部と向き合わされる機会、現実世界だったら逃避したくなるけれど本の世界だったら他に誰も見ていないから、一人でこっそり恥部とご対面できる。しんどいけど。

 

 あと、「運のいい人」とはどういう人かという話も面白かった。

運がいい人というのは、したがって、大量の情報を無意識のうちに処理・計算しており、日常生活のうちに無数に存在する選択の場面でそれが役立っている。つまり、後に「ラッキーである」と思われるような帰結をもたらす無数の選択を無意識のうちに、そして不断に行っているというわけです。—139頁

 「運が悪い人」というのは思い込みや思考停止によって情報を遮断しているため、選択の場面で利用できる情報の数が少なく、結果的に運の悪い選択をしてしまう、その確率が上がるという話。ここに日頃「ものを考える」癖があることの長所があり、それは『わかりやすさの罪』『勉強の哲学』に通ずる部分かもしれない。

 

 そしてその國分功一郎さんが巻末で対談相手として現れるのが『すべてはモテるためである』だ。ここまで無意識のうちに「考える」ことが全てに通ずるテーマのようになっていたが、本書がまさに「考える」ことの実践的な本。哲学書コーナーに置いた方が良い。

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

  タイトルだけに惹かれて手に取った人とはミスマッチを起こしてしまうかもしれない。だってこの本を読んでもすぐにはモテない。「10分で分かる!モテるための30日メソッド!」みたいなものじゃない。モテる仕草や服装、デートプランなど、何も書いていない。本書はまず、何をモテると定義するんですか?あなたはどういう風に、どういう人から、モテたいんですか?とことん考えてください、というところから始まる。答えは書いていない。全然分かりやすくない!

 

 そしてこの世でモテる人は「かんじのいいバカ」か「考えられるが臆病すぎない」人だと指摘しており、これは実感として分かるなと思った。モテないのはその逆で、「かんじわるいバカ」か「バカなのに、あるいは考えすぎて臆病で暗い人」だという。ただしここでいう「かんじのいいバカ」とは考える前に相手の土俵に合わせることのできるある種の才能を持った人であり、たいていの人にはそれができない。だからこそまず考えて、臆病になる(決して偉そうにしない)ところから始める。それは『勉強の哲学』でいうところの勉強するにはまずキモくなるところから始める、ということとも親和性があるように思った。

 そして臆病になったところからどうやって自信を持つかというと、自分が何を好きかがはっきりと分かる、それはつまり自分が一人でもいられる居場所がある状態でいるということで、そういった適切な自己肯定の状態、自己受容の状態が「自意識過剰で気持ち悪い、あるいは臆病すぎる」状態からの脱出、すなわちモテへの道なのだと解釈した。

 

 「自己受容」というキーワードについては同じく二村ヒトシさん著作の『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』に詳しい。以下、少しネタバレします。

  この本は家族関係や育ってきた環境等の要因によって空いた心の穴を埋めてくれる相手を欲するなかで、その穴の空き方によっては愛してくれない人を好きになってしまうこともある…みたいな話で良いことも書いてあるし面白いのだけど、巻末の対談で二村さんの口から漏れ出てしまった一言がきっかけで対談相手の信田さよ子さんからフルボッコにされ、その後の後書きで担当ライターにさらに追い打ちをかけられるという一大スペクタクルが待っているので、絶対に最後まで読んだ方が良い。冒頭に書いた私の嫌いな宣伝文句「どんでん返し」が待っている。そこを含めての良書。「これさえすればモテる!女はイチコロ!」的なマスターベーションのようなモテ本と一線を画す、男も女もズタズタにされて恥部と向き合わされまくる倫理の本。

次に読みたい本

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)