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"リスク"に対する姿勢 『もうダメかも——死ぬ確率の統計学』

  ここ最近で一番面白かったノンフィクション。

  人間は必ずいつか死ぬ。いつか死ぬ確率は100%だ。では、いつ死ぬのか?何によって死ぬのか?事故、事件、病気、危険なスポーツ?その確率は?外を歩いているだけ、乗り物に乗っているだけ、煙草を吸っているだけ。何をしている時だって死のリスクに付きまとわれている人間の様々な行動における「死ぬ確率」を紐解いていくのが本書。

 

 数字がずらっと並ぶだけでなく、物語調になっているので読みやすい。主な登場人物は何事においても平均的なノーム、とことんリスク回避型のプルーデンス、リスク許容度が高すぎる向こう見ずなケルヴィンの三人。本書が面白いのは、同じ確率のリスクに対して、人の受け止め方はその人のパーソナリティとその場の状況によってまるで違う、という心理面にまで言及されているところだ。

 

 例えば降水確率60%と天気予報で見た時、私なら傘を持って行かない。一日中外にいることが分かっている時なら別だが、そうでないなら、降らない残り40%に賭ける。雨が降る確率たかだが60%のために、傘という荷物を増やしたくないからだ。登場人物の三人の中でリスク許容度の高いケルヴィンに最も共感した私らしい考え方だと思う。

 しかし人によっては降る確率60%に重きを置いて傘を持って行く人もいるだろうし、なんならいつだって折り畳み傘を常備している人もいる。同じ確率を目にしても、人の性格によって取る行動は大きく異なる、ということが面白い。

 

 この先、自分用の備忘録としてネタバレ(のようなメモ書き)を書いているので、注意してください。

 

 色々な人間にあまねく降りかかる「死の確率」を語るのに、本書では独自の単位を二つ使用しており、その考え方がまた面白い。

  • 1マイクロモート(MM)=平均的な日々の物事をこなして平均的な一日を過ごす人間がその日に死ぬ確率100万分の1

 つまり普通の暮らし1日は1マイクロモート。これを基準として、例えば1回のスカイダイビングは10MM、1回のイギリスでの出産は120MM、でも全世界を平均すると2,100MM…などと、色々な行動に関するMMを展開してリスク度合いを見ていく。

 

 これも、リスクに対して人が取る姿勢によって受け取り方は大きく変わるだろう。1MMは、確かに100万分の1は死ぬが、999,999は死なない、という単位であって、どちらを重視するかによる。

 ただし世間のニュースではもちろんこの「1」側を報道するのであって、「999,999」側は報じない。なので多くの人間は、起こる確率は極めて低いが起こらないとも決して言えない悲劇に対して敏感になる。

 

 また、期待収益が大きいほどリスクの見積もりを下げる、という人間の習性も面白いと思った。これを「感情ヒューリスティック」というらしい。確かに、例えば「宝くじが当たる」という期待収益の大きさに目が眩み、「外れて財産を失う」ということへのリスクの見積もりが下げられることが、ギャンブル産業を成り立たせる要因の一つであるように思う。

 

 さらに皮肉だと思ったのが、「リスクホメオスタシス」という原理。これは安全だと感じるといっそう危険な行動を取る、という人間の性質のことだそうだ。例えば、北海道の広大な土地に続く長い一本道では車のスピードが上がる、ということか。せっかく安全性が高い、すなわちMMが低い状況であるにも関わらず、人間が自らそのMMを上げてしまう可能性がある、ということ。

 

 そう考えると、人間のリスクに対する姿勢というのは結構曖昧でいい加減で、自分に都合の良い解釈をしているものだなと思う。

 

 続いて出てくる単位が、これ。

  • 1マイクロライフ(ML)=成年の人生を100万等分した時の等分された1個で、持続時間は30分

 つまり命の持続時間30分を一つの単位として、若年成人には平均約100万"30分"の寿命が残っている、という考え方。人間はこのMLを日々消費して生きており、1日に48MLが消滅する。24時間=1,440分、1,440分÷30分=48で、1日48MLの消滅、ということ。本書では、何もしなくても48ML減ってしまう人生の持ち分をどのようなスピードで使っているのかを、日々の慢性的なリスクに応じて測っていく。例えば煙草1本で平均余命が平均約15分短くなると言われているので、1日に10本吸うと5MLが失われる、ということだ。

 

 この受け取り方も、人の性格によって大きく異なるだろう。いくら1日に自然減48MLにプラスして5MLが失われるとしても、何が何でも大好きな煙草を1日に10本は吸いたい。それもできずに、5ML×向こう何十年=●●ML分長生きしたって意味がない。そう考える人もいるだろうし、私はどちらかというとその考え方に近い。自分の嗜好を優先して自らをリスクに晒すという姿勢だ。この良し悪しは人の価値観によるので別として、しかし他人に批判されるものでもないと思う。なので受動喫煙に留意して、マナーを守っている喫煙であれば、それによってその人が健康を害しようが何しようが、本人が承知の上なんだから別にいいのでは?、と最近の禁煙ファシズムを思ったりした。

 

 本書を読むと、人間の人生は全て確率の連続なのだなと思う。確率の連続であり、その確率を目の前にした選択の連続だ。そしてその確率は過去のデータを基にしてこんなにも具体的な数値として知ることができるのに、それを受けた人間の行動はあまりにも曖昧でいい加減である。リスクの確率に対する人間の姿勢次第でその確率すらもどうとでも変化する。身も蓋もない言い方をすると「全ては人による」というざっくばらんな結論に行き着くのが、最高に面白かった。

 

  本当に、ここ最近で一番のノンフィクション!