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令和の生きづらさ 『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』熊代亨

 

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

  • 作者:熊代 亨
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  この本を読もうと思ったのは、この記事を読んだからだった。

gendai.ismedia.jp

そしてそもそもこの記事を読んだのはこの記事で取り上げられている本を本屋さんで見た時に、そのタイトル、帯文、諸々に絶望を感じてしまったからであって、ではなぜ自分は辛くなったんだろう、この本はなぜ売れているんだろう、などと色々考えたくなったので、記事の筆者である熊代さんの本作を買ったのだった。

 

 戦後から平成前半にかけて、都市は発達し治安は良くなり、生活の質は飛躍的に向上した。日本は本当に清潔だしサービスの質も高いし人々はお行儀が良く、そのレベルでいうと世界トップレベルといえるかもしれない。それはもちろん良いことであって、決して過去に戻りたいわけではない。ただ、その社会を生きる人々に求められる資質のハードルがどんどんと高くなっていく側面があり、今では昔にはなかった新しい"生きづらさ"がある、というのがこの本の本旨。

 精神科医である著者がメンタルヘルスや健康、子育て、コミュニケーション、都市空間など色々な観点から論じていく本だが、著者が自分で言うようにあくまでこの著者自身が描く"社会のラフスケッチ"であり、本書をきっかけに読者が各々で考えることを促される作りになっている。

 

  この本のタイトルにピンとくる、心当たりがあるなと思うのは、例えば会社で働いている時かもしれない。私の会社では働き方改革を推し進めるためこれまで以上に残業時間に厳しくなり、有給休暇もきちんと取れるようになった。それ自体は喜ばしいことだ。ただ、仕事量自体は変わらないため、今までよりも短い時間でいかに効率的に仕事をこなせるか、ということが問われるようになってきている。ますますホワイト化していく会社でサバイブするためには、要領が良くて手際が良くて、社内外の人間と円滑なコミュニケーションが取れて効率的に仕事ができなければ難しい。

 精神科医の著者は、かつての精神医療シーンではフロイトの理論を受け継ぎ「こころ」を取り扱う精神分析が注目されていたが、今は「こころ」という曖昧なものではなく認知行動療法などが主流になった。統計的なエビデンスに基づいて、その症状なら〇〇という病、というように精神医療がテクノロジーになった、と指摘する。最近大人の発達障害などが注目されているように感じるが、昔なら例えば会社でその仕事に馴染めていないと思われていた人に対して今では病名がつく場合があって、そうなると医療福祉のサポートを受けられるようになる。

 そこで生きづらいのは、"ギリギリその症状(条件)から外れる人"。医療福祉のサポートを受けられる/受けられないの線引きがはっきりすることによって、ギリギリ受けられない人は疎外され、現代社会に適応すべく個人で頑張るしかない、という話はとても興味深かったし、会社で働く者としてすごく実感が持てた。

 

 また、健康も子育ても今では資本主義と社会契約のロジックに基づいて存在するようになったという話も興味深かった。確かに健康はそれ自体が意味すること、心身が健やかであるということだけでなく、身体に気を遣った食事が摂れる、身体のケアをする余裕があるなどといった経済的、社会的ステイタスの高さをも意味するうえでは、健康な人=資本主義社会における勝ち組といった捉え方もできてしまう可能性がある。

 子育ても昔のように地縁、血縁に基づいて「親なくとも子は育つ」ことのできる可能性のあった社会から、そういった地縁、血縁から離れて自分で子育てを組み立てることができるようになった、組み立てなくてはいけなくなったために親が自分の力だけで子のリスクを管理し、そのためにコストを払わなくてはならなくなった(例えば教育費など)からこそ、そのコストを支払えない人が社会から疎外されてしまう、という意味ではそこでも資本主義のロジックが働いていると思う。

 

 社会の色んな側面が高水準になればなるほどその社会で上手くやっていくために求められるハードルも高くなる。だからこそ「育ちがいい」方が社会で得をするという実感がみんなにあって、あの本も売れているのかもしれない。そういうマナーなども含めた広義の意味でのコミュニケーション能力の高さも求められすぎている気がして疲れる。コミュ力至上主義社会で求められるコミュ力は不器用で朴訥としていて時間はかかるかもしれないけれども…、といったようなイメージではなくて、誰とでも素早く絶妙に距離を縮められて非常にノリが良い、みたいなイメージだと感じていて、実際にますますホワイト化する私の会社で出世できるのはそういう人である。確かにそういう人はそれはそれで良いけど、そうでない人が全くダメかというとそんなわけないのに、実際はほぼダメという扱いというか、そういう現実は少なからずある…指示語ばかりで分かりにくい文章になってしまったが、なんだかな~それって会社が、というか社会が声高々に宣言している"多様性"を守っていることになるの?と皮肉なことを思ったりする。

 

 問われるべきは、清潔な秩序の是非ではない、と私は思う。清潔な街を維持しながら、どうやって排除や疎外に誰も直面しないようにすれば良いのか、清潔を実践するための負担に個人差があり、中~上流階級が牽引してきたがゆえの不平等の名残りがあることをどう考えるべきなのか、が問われなければならないのではないだろうか。—193頁

  今よりも無秩序な過去に戻るのが良いとかそういう話では決してなくて、結局は要するにあらゆる人がいてその背景は様々であるということの想像力の問題で、その想像力を持たずして社会の枠外から少しでもはみ出した人を疎外するということはあまりに早計である、ということかと思う。またその想像力を持っておかなければいつか健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さに直面してしまった時に、自分で自分の首を絞める可能性がある、とも思った。

 

 いつも以上に自分でも何を言っているのか分からなくなったが、とても面白い話がたくさん載っていたし、こういう話が好きな人にこの本を貸してその後話も弾んだので、楽しかった。

 

連想した本

不健康は悪なのか――健康をモラル化する世界

不健康は悪なのか――健康をモラル化する世界

  • 発売日: 2015/04/11
  • メディア: 単行本
 

  今読んでいる最中。コロナ以降、ますます健康がモラル化する気がして仕方なくて買っていたのだけど、本作を読んでついに読み始めた。

 

最後の喫煙者 自選ドタバタ傑作集1 (新潮文庫)

最後の喫煙者 自選ドタバタ傑作集1 (新潮文庫)

 

 喫煙者が弾圧を受ける世界。受動喫煙は良くないということなどには同意だけれども、今年4月からの改正健康増進法でまた一歩この世界に近づいたな~と思った。筒井先生すごい。

 

幼女と煙草

幼女と煙草

 

 大好きな本。禁煙の波と少子化により少なくなっていく貴重な子どもへの手厚い保護といった善意や正義感が、暴力的になっていく様。