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『A子さんの恋人』が傑作だった

 

A子さんの恋人 全7巻完結セット (ハルタコミックス)

A子さんの恋人 全7巻完結セット (ハルタコミックス)

  • 発売日: 2020/10/27
  • メディア: コミック
 

  漫画『A子さんの恋人』が完結した。この漫画は最初からずっと面白くて、新刊が出る度に一巻から読み返し~を繰り返すため、最終巻に至っては買ってから実際に読むまでにかなり時間がかかってしまった。で、ようやくたどり着いた最終巻で自分でもびっくりするほど泣いてしまったので、感想を書いておくことにした。

 

※以下、ネタバレを含むので注意してください。 

 

 私はこの物語をずっと、「自分が、あるいは相手が、代替可能な存在か否か」という話として読んでいた。

スタッキング可能

スタッキング可能

  • 作者:松田 青子
  • 発売日: 2013/01/18
  • メディア: 単行本
 

  一巻の頭を読んだ時にすぐに松田青子『スタッキング可能』が頭に浮かんできた。『スタッキング可能』はいわゆるお仕事小説なのだけど、その会社に勤める人がみなアルファベットで表記されていて、その人にとっては一大事であってもその会社全体で見れば大したことはなく、また絶対にその人でなければ会社が回らないということもなく、全ては代替可能である、というブラックユーモア溢れる短篇。とある人の生活の積み重ねとまた別のとある人の生活の積み重ねが積み重なって日々は良くも悪くも続いていく中で、まさに"スタッキング(積み重ね)"可能な一つの"部品"として人間が機能している皮肉が詰まった話だと思っていて、その話を『A子さんの恋人』を読んですぐに思い出した。

 『A子さんの恋人』は

そもそも苗字を知っていれば充分で「えいこ」であることを知っていたら十二分なのであって

(中略)

他人にとってえいことか けいことか ゆうこは 漠然とエーコ ケーコ ユーコなのである。—1巻 4~6頁 

という主人公A子さんの独白から始まり、A子さんの元恋人はA太郎、現恋人はA君と表記される。『スタッキング可能』と同じく、アルファベット表記。そしてこのA子さんの人への執着の無さがどうしようもなく好きで、でもそんなところにどうしようもなく傷つくA太郎に、私は知らずのうちにメンタルを全振りして読んでいたように思う。

 

 A子さん、ゆうこちゃん、けいこちゃん、あいこちゃん、A太郎、A君、ヒロくん…みんなそれぞれに魅力的で分かる部分も分からない部分もあって、でも自分は特にこの人に一番シンパシーを感じるな、そしてこういう人が一番タイプだな、というのが読者それぞれにあると思うけど、私はA太郎に最もシンパシーを感じ、A子さんみたいな人がタイプである。これは私がA太郎のようにモテるというわけでは全くなく、あくまでメンタリティの問題。

なんで僕がえいこちゃんのこと好きなのか教えてあげよう

それは君は僕のことそんなに好きじゃないからだよー1巻 65~66頁 

えいこちゃんのあの疑わしそうに僕を見る目とかい~んだよね~~~

この人僕を疑ってるなと思うとホッとするんだよ

えいこちゃんは信用できるんだよね~~~—1巻 122~123頁

えいこちゃん基本的に荷物が少なくてさ カバンが小さいんだよね

そういうところがいいよね!—4巻 103頁

 分かる。分かりすぎる、と頭を抱えた箇所。正直に言って過去の自分の恋愛みたいなものは散々なことしかなくて、原因の本質は「自分のことがあまり好きじゃない人が好き」だからだということもこの年になると分かってきてはいて、それでもそういう人としか一緒にいられない自分からすると、A太郎がA子さんを好きになる理由は痛いほど分かる。

 人にも物にも、そして本人自身にも執着がなさそうで、何の影響を受けることもなく自分のペースを崩しそうにない人。もちろん自分みたいな相手がそばにいたって何ら左右されそうになく、ただ淡々とそばにいるだけのように見える人。人当たりが悪いわけでなく誰とでもある程度の人付き合いはできるけれども、さして特別に好きな人がいるようには見えない人。荷物が少なくて、衣食住にもこだわりがなくて、いったいこの人は何になら我を忘れて夢中になるのか、一つも見当がつかない人。そういうA子さんみたいな人の身のこなしの軽さが、A太郎にとってものすごく居心地が良くて、でもものすごく傷つくこと、とても分かる。執着されないから好きなのに、自分が相手にとって代替可能であることに気が付く度に傷つく。でも自分のことを"好きすぎる"あいこちゃんのことは選べないA太郎。

 

 A太郎を見ているともう一つ、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』のことも思い浮かぶ。

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

 

愛を測り、調べ、明らかにし、救うために発する問いはすべて、愛を急に終わらせるかもしれない。もしかしたら、われわれは愛されたい、すなわち、なんらの要求なしに相手に接し、ただその人がいてほしいと望むかわりに、その相手から何かを(愛を)望むゆえに、愛することができないのであろう。—『存在の耐えられない軽さ』373頁

A太郎は、束縛を嫌い軽やかでありたい一方で、それにとてつもない虚無感を覚えることもあって、"軽さ"に幸せを覚えつつその"軽さ"に苦しむサビナ側の人間なのかなと思う。その虚無感を簡単な言葉で端的に表すとどういうことかというと、

…なんだか安くてたいしておいしくない物を死ぬほど食べたい気分だよー2巻 151頁

 という気持ちで、たまにこのゾーンがやってくるのも、ものすごく分かる。自分のことを何一つ労わりたくない気持ち。安くてたいしておいしくない物を死ぬほど食べた後に待っているのは更なる虚無であるということも分かっているけど、こういうことをしなければ保てないくらい虚しい時があるということだと思う。

 

 A太郎にとってA子さんが代替可能なのではなくて、自分がA子さんに代替したかったんだろうな。一人でどこまでもすいすいと泳いでいってこちらを振り向きもしないA子さんになりたかった。自分が自分でいたくなくてA子さんになりたいのに、あくまで"自分"に拘るあいこちゃんではだめなのだ。

 

 私がA太郎にシンパシーを感じまくっているのでこう書くとA子さんがひどく冷たい人のように映るけど、そんなことはない。A子さんだってA太郎が本当に代替可能であると思っているわけでなく、でも自分が自分でいられなくなるのを恐れるあまり相手に深入りしようとしない慎重さがA太郎を傷つけるのだけど、深入りすればA太郎の心は離れていくのでは?と本能的に気が付いてもいる。だから深入りしたくない。適度にA太郎がよそを向いている(ように見える)とかえって気持ちが軽くなり、仕事の調子も上がる(そんなA子さんのこともよく分かる)。それはやはりA太郎に「自分のことがそんなに好きじゃない人が好き」という根源があるからで、その根源の本質に辿り着くまでの話が『A子さんの恋人』だったんだなと思う。

 

 「人に愛されるためにはまず自分を愛そう」みたいなフレーズをよく聞くしまぁそうだなと思いはするけれども実際には難しい。ただあまりに自分を愛さない態度は本当に自分を思ってくれている人を傷つけるし、遠ざける。そのことにできるだけ早く気が付いて変わって、モラトリアムを終わらせなければいけないのだなと思った。その終止符を一緒に打てたA子さんとA太郎はやっぱり特別に思い合っている二人だと思う。

 

 というか『A子さんの恋人』に出てくる全ての人が代替可能な存在ではなくて、みんな特別だった。相手の個が自分の個を認めてそばにいてくれているのに、勝手に匿名化して自分が傷つかないよう傷つかないよう防御していては、いつか相手を傷つける。

 『A子さんの恋人』は端的に言うと元恋人A太郎と現恋人A君の間で揺れ動くA子さんの話ということになるけれども、この漫画は恋愛だけがメインテーマではなく、自己あるいは他人の受容とか仕事とか才能とか友情とか、色んなものが絡み合った明快ではない話で、でも無理やりにまとめてみると「大人がもう一歩大人になる」話なのかなと思った。この先も何回も読み返すのだろうなと思える漫画でした。

 

 

 私の中の勝手なA太郎テーマソング。「君の才能が欲しかった 超好きだったのにな」


アカシック「8ミリフィルム」