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言葉同士のセクシーな競り合い 『もしもし』ニコルソン・ベイカー

 

もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

  地の文ほぼなしのテレフォンセックスによる会話劇。ディテールにこだわった非常に緻密な描写は『中二階』(私は未読)等でも見られるニコルソン・ベイカーの特徴、持ち味らしく、とても癖になる。

 

 冒頭にこの小説がテレフォンセックスを主題としていると書いたが、決して端的なエロ小説ではない。物語は、テレフォンセックスをしたい人たちが集まる会員制サイトで出会った本作の主人公である男女が、快楽の高みを目指すためにお互いの性的嗜好を語り合うことから始まる。今どんな格好をしているのか、どんなことに興奮するのか、実際に最近どういうことで興奮したのか、マスターベーションの違う呼び方を考えよう!とか、そういうことを延々と喋っているのでやっぱり食いついてしまうし、面白い。また、その会話がただただ下品なものにならないのは、そこに多大な想像力と豊富すぎるボキャブラリーがあるからでもある。そしてそうした力を二人が駆使するのは、自分だけでなく相手をも気持ちよくさせてあげよう、そのためにお互いに心を開こうという思いやりからきているようにも感じられた。こうして二人が肉体的興奮を得るだけでなく、精神的にも連帯感を紡いでいく様子は非常にスリリングであり、それを言葉だけで表現するベイカーがセクシーである。

 

 

 もう一つ、本作の中で出てきて特に気になったことがあった。それは、「女は活字が好きで男は絵や写真が好きっていう説」(81ページ)である。私は好奇心と遊びでAV鑑賞をしたことがあるけれど、その際に思ったことは「こんな無理な体勢をとってて辛そうだな、私は体が硬いから到底できないな」とか「女優さんのプロ根性すごいな」など、作中でお芝居をしている人への関心がほとんどで性的に興奮することは全くなく、それよりは本作のような活字での性描写の方がぐっとくる。実際に自分の周りでもAVを見るのは男性が圧倒的に多いけど、それはまぁ女性だとAVをレンタルなり購入なりしにくい状況もあるし、そんな中でも女性向けAVが出されたりもしているので、この説が正しいかどうかは私には分からない。

 

 ただ、なぜ活字が人を興奮させるかについての主人公の男による考察はなるほどと思った。

「(前略)思うに、言葉のポルノが一番刺激的なメディアであるとすれば、それは単なるイメージではなく思考を記録したもので、というか、イメージをすべて思考でくるんで差し出すものだからなんじゃないかな。(後略)」

という一節である。

 本作でいうと、官能的な一文にはそれを書くまでのベイカーの思考が経由していて、何をイメージして書こうか、それをどういった言葉を使って書こうかなどの思考が詰まっているのだと思う。そしてそれを受け取る読者もまた、その一文を自分なりにイメージして脳内で映像化したり、どういう意味なのかを考察したりして思考する。実はセクシーな対象物そのものではなく、その対象物にかかる作者の思考と受け取る側の思考が濃厚に絡み合ったところにセクシーさが生まれるのもかもしれないなぁと思った。

 

読みたくなった本

中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

 ぱらぱらっとページをめくってみると、ディテールにこだわりまくっていて脚注が山ほどついている。ベイカーの持ち味がいかんなく発揮されていそうで読みたい。

 

フェルマータ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

フェルマータ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

 「時間を止めて女性の服を脱がせる特技をもつ男の自伝。」(BOOKデータベースより)って言われればそりゃ読みたくなる。ユーモア溢れる下ネタは面白くて好き。

 

 個人的に岸本佐知子さんの訳書にははずれがないと信頼しているので、これらはぜひ読みたいと思う。