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"本"を使って大復讐 『私家版』ジャン=ジャック・フィシュテル

 

私家版 (創元推理文庫)

私家版 (創元推理文庫)

 

  予感というものを信用すべきだろうか?今朝、うつらうつらしながら、わたしは破壊に向かって歯車がまわりだす音を聞いたような気がした。

という不穏極まりない書き出しから物語は始まり、この「わたし」である主人公の出版社社長・エドワードの語りで進んでいく。

 あらすじは、友人の作家ニコラを憎むエドワードが、とある事実、それもエドワードにとって許しがたい仕打ちをニコラが行っていたことを知ったことがきっかけで徹底的にニコラに復讐をするお話。その復讐に用いられる凶器がニコラが書いた傑作本で、物理的にではなく本そのものの"存在"が凶器となることが一風変わっており、それがこの作品の最大の特徴である。

 

 本作はフランス推理小説大賞を獲っていることを鑑みてもミステリとして読まれる物語ではあるけれど、私はこのエドワードとニコラの人物像や二人の関係性により興味がそそられた。読後に一番気になったことは、ニコラは本当に復讐されるに値するほどの悪者なのか?ということである。

  エドワードから見たニコラはルックスが悪く女の子にもモテずにいつも日陰にいるような自分とは正反対の性質を持っていて、いつでも主人公のように振る舞い、勝手気ままで自己中心的。女癖もすこぶる悪く、エドワードの好きな女の子もかっさらっていってしまうような人物である。語り手がそうしたエドワードなので、読者の中のニコラ像も自ずと極悪人となってしまう。そんなニコラを常々憎んでいたところに、火に油を注ぐようにしてとあるニコラの非情な仕打ちを知り、どうしても許せなくなって復讐するのであるが、この復讐を受けてズタズタになったニコラについて、エドワードとは別の出版社の社長であるパルマンティエが物語の終盤でこんなことを言って泣く。

「それにしても、なんてことだ!……わたしはあの男が好きだった。あいつには痛い目に遭わせられたが……でも、あの男はすばらしいやつだった。 (後略)」

と。 

 確かにニコラは傍若無人なところがあったことはエドワード以外の人からみても否めないらしいが、人を惹きつけてやまない魅力、カリスマ性のようなものがあるのではないだろうか。

 実際にエドワードも、

わたしはニコラの言うがままになった。彼のどんな呼びかけにも応え、彼に必要とされることが非常に誇らしかった。(中略)若い時には、自分が憧れるヒーローを見つけることが必要なのだ。わたし自身のうちには愛すべきものが何も見つからないので、わたしはそれを彼のうちに求めていたのだ。 

 という独白をしている。

 エドワードは日向にいるニコラの影となる自分に劣等感を抱え、ニコラを憎む一方で、強烈に惹かれていたのだと思う。そんなエドワードのニコラへの憧れの気持ちが自分に対する自信の無さと混ざり合うことでぐにゃぐにゃに変形してしまったことによって引き起こされたのが、本作で描かれている事件なのではないだろうか。読者はエドワードが語る悪者ニコラしかほとんど知ることができないけれど、本当はニコラはエドワードが語るほどの悪者ではないのかもしれない、と思わざるをえない。

 物語が始まる前に載っている

しかし、われわれの憎しみはほとんど愛と見分けがたいー―ヴァージニア・ウルフ『波』

という引用文がこの作品をズバリと言い表していることを深く感じる読後だった。

 

 そう思うとこの物語は、エドワードの語りを素直に受け取れば非情な友人に対して誠実な男が鉄槌を下す正当な復讐譚ということになるし、穿った読み方をすれば被害者意識と僻み根性の強い男が成功者の友人を罠に陥れるイヤ~なストーリーということになる。読者が誰に共感するかで物語の色彩がガラリと変わるという性質をこの作品は持っており、読後に友人とああだこうだと話し合いたくなる小説だった。