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"正常"であることとは何か 『消滅世界』村田沙耶香

 

消滅世界 (河出文庫)

消滅世界 (河出文庫)

 

  年齢も20代後半となり、周りの同世代にも結婚した人、子供が生まれた人が増えてきた。と同時に会社へ入社して数年が経ち、もう「新人」扱いはされなくなると共に大きい仕事を担うことも多くなってきた。友達との会話も好きな人や彼氏というような話ではなく、結婚について、その時家計はどう運営するか、子供は欲しいか、その時仕事はどうするかなど、数年前よりも現実味を帯びてきた。そんな会話になった時、結婚願望が薄く、現状の一人暮らしが大好きな私は、たいていこんなことを言っている気がする。

「恋愛と結婚は全くの別物。恋愛するなら私は男性が好きだけど、結婚は家計の共同経営者としてとにかく信頼できて楽しくやっていけそうな女友達としたい。子供がほしい時は精子バンクを利用したい。」

「子供がほしいとなった時、妊娠して悪阻に苦しみ産休をとってキャリアを一時中断して激痛出産に耐えるのは必ず女性、というのは腑に落ちない。男性にも産んでほしい。」

身体の構造的に無理なこともあるし、聞く人によっては激ヤバ思想と捉えられなくもないと思う。もちろん結婚にも出産にも良い点、素晴らしい点があるだろうことも分かっている。ただ私にとっては結婚も出産育児も経験がないので、夢想じみているかもしれないが、これが今の私の本音である。

 

 そんな私の夢想と『消滅世界』的世界観との親和性の高さに驚いた。夫婦間にセックスは持ち込まず家庭を協力して切り盛りしつつ、恋愛したいなら外で行う。みんな避妊処置を受けているので恋愛相手とセックスしてもしなくても子供ができることはなく、妊娠は人工受精で必ず自発的意思のみによって可能となる。この世界では恋愛があくまで家庭外で行われ生殖と切り離されているため、恋愛相手は異性同性を問わないし、もはや人ではなく二次元のアニメや漫画のキャラクターでも良いし、モノでも良い。

 そんな世界が最も先鋭化されているのが、実験都市千葉の「楽園」だ。そこは恋愛、家族、性愛、生殖、全てが解体された世界。国から選ばれた人たちがとある時期に一斉に受精し一斉に出産。生まれた子供はみんなの「子供ちゃん」であり、男女問わず大人みんなが「おかあさん」。例えば公園に遊びに行けば、自分自身は出産をしていなくても、公園にいる「子供ちゃん」たちが自分を「おかあさん」と呼び懐いてくる。ここでは全てが解体されているからこそ、不倫なし、DVなし、虐待なし、ネグレクトなしの最大公約数的な幸福がある。

 とても合理的でジェンダーレスで、今世間で私たちが苦しむ性差別や不倫浮気、機能不全な家庭に偶然生まれるか否かの差異、貧富の差によって受けられる教育の差異も、何もない。ある種のユートピア世界とも言えるのではないか。

 

 しかし、どうしても違和感が拭いきれない。ユートピアのように感じられるのに、セックス、生殖という極個人的な事柄を全て国に管理されることの歪さ。「子供ちゃん」たちの同じ格好、同じ表情が全て歪んで見える。自分を「おかあさん」と呼び懐いてくる光景にゾッとする。

 とはいえ、他人が生んだ「子供ちゃん」のことは愛せないのか?自分と血の繋がった子供しか愛せないのか?それは血縁至上主義ではないか?現実に、血縁関係がなくても愛情を注ぎあう親子がたくさんいる。それを極端に最大化させたのが「楽園」システムの親子関係なのか?

 それとも血縁どうのこうのではなく、ただ、現在の日本の基本的な親子関係は血縁の有無に関わらず特定の子1対特定の親1なのに対し、「楽園」システムでは多数対多数であり、そこに違和感を覚えているのか?であれば今も現実にある養護施設などは?養護教諭を実の親のように感じながら生活している子供たちもいるだろう、…などと思考がぐるぐると煮詰まってしまった。

 

 村田さんの作品を読むといつも、自分が今持っている"普通"、"当たり前"の感覚が激しく揺さぶられる。ただやはり、「個」があるから「差」が生まれて苦しむこともあって、でも「個」を埋没させることで本来あるべきその人の自我やあるべき差異、全てを「均一」にすることが良いとも思えないのだった。

 

 この作品を読むと、何が正しくて何が異常なのか、もう何も分からなくなる。異性愛至上主義も恋愛至上主義も家族至上主義も嫌なのに、「信頼できるたった一人の相手と家計においてもセックスにおいても生殖においても全て一対一の関係を結ぶ」ことを、心のどこかで信奉している自分がいる。でもそれを信仰していて異常ではないと見なされているのは、それが今のスタンダードだからに過ぎなくて、時代が変われば常識も変わり、いつかの未来ではこの信仰が異常と見なされるのかもしれない。

 

 最初は抵抗感を覚えていた「楽園」システムに徐々に馴染んでいく主人公の、

「洗脳されてない脳なんて、この世の中に存在するの?どうせなら、その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに」―263ページ

「どの世界に行っても、完璧に正常な自分のことを考えると、おかしくなりそうなの。世界で一番恐ろしい発狂は、正常だわ。そう思わない?」―264ページ

という一言にはっとさせられる。 

  人はいつも自分が今生きる世の中で「相対的に正常」であることを志向しているだけで、その"正常"は絶対ではないのだ。

 

連想した本

殺人出産 (講談社文庫)

殺人出産 (講談社文庫)

 

  10人産めば、1人殺せる世界。少子化が進み、子供を産むことが一つのステイタスになる社会が目の前にやってきていると感じる昨今、このとんでもない設定が妙にリアリティを持つ。

 いやもはや、そういった社会に今すでになっているのかもしれない。例えば新聞に載っている新内閣発足の閣僚紹介欄で、女性閣僚にだけ「子供が〇人おり仕事と育児を両立~」みたいなことがやたらと書かれていて、暗澹たる気持ちになるし…男性閣僚にはあまり書いてないし、「両立している」ということがアピールポイントになるんだ…と感じてしまう。もちろん両立していることは本当にスゴイと思っているのだけど。

 

宰相A (新潮文庫)

宰相A (新潮文庫)

 

 母の墓参りのため里帰りする主人公。ひと眠りし電車を降りると、そこは金髪碧眼の人たちが「日本人」を名乗り、主人公たち「旧日本人」には主権がない世界だった。

 その国における"正義"が暴力性を持つ恐怖。

 

結婚不要社会 (朝日新書)

結婚不要社会 (朝日新書)

  • 作者:山田 昌弘
  • 発売日: 2019/05/14
  • メディア: 新書
 

  日本の結婚を取り巻く社会環境の変遷と欧米との結婚観との違い。

 

  未読だが一番にこれを思い出した。いつか絶対に読みたい本。

女性から財産や仕事を奪い、権力者の子供を産むための"道具"として育成する社会。