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男性も女性も"思考"しよう 『他人のセックスを見ながら考えた』田房永子

 

 

 エロ本の女性ライターが取材した性産業の現場、消費者の男性、働き手の女性を通して、セックスとジェンダーを考える本。

 

 本作では、性的欲望を肯定されやすい男性と、肯定されにくい女性との間の断絶が、男女のより良い関係を損なう可能性について言及されている。確かに男性は性的欲求を持つことこそが健全である、という認識が世間一般的にあるように思う。女性が大好きでエロいことが大好きな男子こそが健全で男らしいとされており、逆にそうでない男性はホモソーシャルにおいては弱者と判定されてしまうのではないかとすら思う。それはそれで、男性の生きづらさの一つだろう。

 反対に、女性の性的欲望は肯定されにくい。「経験人数は?」と聞かれれば、実際は十何人であっても「三人です」と答えるのがベター、というようなハウツーも恐らくあるだろう。女性の性欲はひたすらにひた隠しにすることが良いとされ、そのような欲求を見せない、ギラギラしていない奥ゆかしさが求められている。

 "健康な"男たちはいつでも、自分を軸にものごとを考える。ヤリマンの話をすれば「俺もやりたい」と口に出したり、「ヤリマン=当然俺ともセックスする女」と思って行動し、ヤラせてくれないと怒る。男の同性愛者の話をすれば「俺、狙われる。怖い」と露骨に怯えたりする。そこに、「他者の気持ち」「他者側の選ぶ権利」が存在することをすっ飛ばして、まず「俺」を登場させる。そのとてつもない屈託のなさに、いつも閉口させられる。 

 まさに私が日頃苦々しく思うことである。バラエティー番組でイケメンとオネエ系タレント、もしくは女性芸人が一緒になった時、彼女たちはたいてい「イケメンのことが好き」であり、彼女たちは「イケメンを取って喰いそうな」 積極的な態度をもって、「キスをされたりハグをされたりすると嬉しそう」な顔を見せる。そこに彼女たちの性志向や好きなタイプなどは一切関与しない。このような画一的なバラエティー演出に、田房さんの上記の指摘が反映されている。

 

 ただその一方で、知人男性が性的な視線をぶつけてくることに対して、安心してしまう場面もある、ということも白状しておきたい。これは性犯罪を許すものでは決してない、ということは断っておきたいのだが、例えば自分の恋愛が上手くいかない時、自分が相手の男性に大事にされていないと分かってしまった時。そんな時にされたナンパ、知人男性からのお誘いに、"女性として一応は求められているのだ"という安堵を覚えることがある。性的関心を隠さない男性の屈託のなさを嫌悪しつつ、そのように求められることで満たされようとする自分の空虚が情けない。

 

 そのように性的欲望を肯定されオープンにすることを良しとする男性が、欲求解消を求めて赴く性産業の場。そこで働く女性を尊敬しつつも、「よくこんなことができるな」とどこか軽蔑してしまっている素直で残酷な感慨もごまかすことなく書かれている。そういった自己批判をも展開している点が、この本を単なる男性批判のフェミニスト本に至らしめていない決定的な点だ。

 

 男性も女性も、性別で確実に分別されるわけではないし、誰一人としてそのジェンダー観や性愛観は一緒ではない。ただ、違うのだから仕方ないと考えることを諦めるのではなく、どうすれば相手を尊重し、かつ自分を殺さず人間関係を築くことができるのか。"思考"することをやめたら、そこでおしまいだ。

 

関連本

女ぎらい (朝日文庫)

女ぎらい (朝日文庫)

 

 男を侮り、男の欲望をその程度の陋劣なものと見なし、そのことによってかえって男の卑小さや愚かさに寛大になるという「ワケ知りオバサン」の戦略である。セクハラにあってショックを受ける女性を「男なんてそんなもんよ」となだめ、下ネタには下ネタでかえすワザを身につけ、男の下心だらけのアプローチをかわしたりいなしたりするテクを「オトナの女の智恵」として若い娘にもすすめる……そんなやり手ババアのような存在になっていたかもしれない。そしてこんなワケ知りオバサンほど、男にとってつごうのよい存在はない。

 今の自分を、自分の過去を抉りながら読んだ本。女を蔑む男と、女であることを自己嫌悪する女の、ミソジニー。男に性的対象として値踏みされることに辟易しながら、そういう欲望を向けてくる男を受け入れている振りをしながら心底では蔑み侮ることで心のバランスをとる歪さ。 

 

  チープな恋愛指南本にあらず。男も女も"自己受容"(notインチキ自己肯定)が大切ということを恋愛だけではなく生い立ち、家族関係からも論じていて面白いのだが、最後の対談で著者の「女は菩薩のようでいてほしい」というような発言によって臨床心理士信田さよ子さんや女性編集者からフルボッコにされる、というスリリングな展開。この対談、そして解説まで全てを読み通して完成される良書。男も女もみな未熟で足りず、その点において性差はないのかもしれない。